一条 いちじょう |
一条氏一族 |
明治元年支配帳に一条家は二流十家(平士以上)のほか、中使一家、花巻給人一家、福岡給人(役医・与力を含む)四家を見る。『参考諸家系図』によれば、甲斐国(山梨県)一条郷を発祥の地とし、太祖は武田太郎信義の長男一条二郎忠頼。『系胤譜考』は「元祖助兵衛は甲斐よりの御供七十余人の内にて云々」と伝える一流と、一条二郎忠頼の弟、または子に作る左衛門五郎忠朝を祖とする一流がある。大坂冬の陣に従軍した一条左衛門次郎は後者の家系に顕在する。 明治元年支配帳 一、五十石 一条助之進 一、六十七石五斗一升三合 一条半蔵 一、三十石 一条金平 一、三十石 一条徳兵衛 一、二十四石 一条瀧弥 一、四十四石 一条友弥 一、二十二石 一条弓太 一、二十六石 一条小左衛門 一、十八石 一条兵蔵 一、二十八石 一条俊助 御納戸付中使 一、三人扶持 一条文平 花巻給人 一、三十石 一条要蔵 福岡給人 一、三十四石五斗六合 一条茂登馬 一、十五石 一条専蔵 福岡役医 一、三歩砂二分五厘 一条了達 福岡与力 一、十五石九升三合 一条覚之進 武田太郎信義 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┣ 一条次郎忠頼━次郎忠恒┳左衛門尉忠広 ┃ ┗左衛門太郎忠矩━━━ 数代不明━━━━━━━┓ ┣板垣三郎兼信 南部光行に従い糠部に ┃ ┣逸見四郎有義 ┃ ┣石和五郎信光 ┃ ┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┗左衛門次郎忠昌━左衛門五郎忠次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┣助兵衛頼長━助兵衛義尚━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃┣似基 一条金平 一条金平 ┃┃┣基久 一条五右衛門 一条友弥 ┃┃┗忠之━━━━━┳忠栄 一条勘太夫 一条瀧弥 ┃┃ 一条勘兵衛 ┣忠雄 一条甚五右衛門 一条兵蔵 ┃┃ ┗忠義 一条勘三郎 一条俊助 ┃┣頼保 一条覚左衛門 一条助之進 ┃┣頼之━━━━━━━某━━━━━━┳光頼 一条要蔵 花巻給人 ┃┃ 一戸玄蕃 一条弥五郎 ┃ 一条弥太郎 ┃┃ ┗頼輔 一条半蔵 ┃┃ ┃ 一条弥三郎 ┃┃ ┗一条弥五郎か 一条専蔵 福岡給人 ┃┗頼武 一条助三郎 一条弓太 ┃ ┃ 分族 ┃ ◎一条理非内━坂本半左衛門━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┣幸辰 一条和左衛門 一条徳兵衛 ┃ ┗幸充 一条小藤治 一条小左衛門 ┗ 一条左衛門五郎忠朝━ 一条冠者忠義 註 原本は板垣三郎兼・逸見四郎有義・石和五郎信光等と共に忠頼の子 としているが、上記の人物に併せて弟に置き換えた。あるいは次郎忠 恒と同人、または次郎忠恒の兄弟とする人物であるものの誤伝、この 系統の初伝が本来の伝である可能性があるのかもしれない。 『参考諸家系図』の編者星川正甫は考証結果を「前者の先は光行公 より仕えるといい、後者は守行公より仕うという。又この両系混雑し て詳らかにしがたし。後者の子孫の伝なく、失禄の始末なし」として いる。 諸士リスト(あ?い) 盛岡藩士の家系メインリスト |