石亀 いしがめ |
一族概要 |
南部氏二十三代安信の四男石亀紀伊守信房を祖とする族臣(『寛政重修諸家譜』)【 注 】。信房は三戸郡石亀村(青森県田子町)及び傍村を領し、在名により石亀氏を称し、天正十一年死去した。その家督を嫡子大炊介政頼が相続して文禄二年死去。その跡を嫡子七左衛門直徳が相続して二百五十石を領した。後慶長十九年に百五十石を加増され四百石とり家老を勤めたが晩年は隠居し慶安元年死去した。嗣子玄蕃亮貞次は部屋住で父に先立ち。その子甚五左衛門政直が嫡孫承祖した。のち政直は明暦三年罪を被り家名は断絶し、嫡流は絶えた。分流は四家立。その一は貞次の二男彦兵衛政勝を祖とする家。その二は直徳の二男彦七郎直方を祖とする家。この家は二代で断絶した。その三は直徳の四男長九郎政次を祖とする家と、その四は直徳の五男吉左衛門政房を祖とする家である。この外石亀氏の傍系に雄族楢山氏がある。初代石亀信房の二男帯刀義実が二戸郡楢山村を領し、その在名により楢山氏を称した。その三孫楢山七左衛門隆章の子孫は、慶應四年本姓に復して楢山益人を石亀益人、のち此馬と改称している。 南部安信┳晴政 ┣石川高信 ┣南長義 ┣石亀信房━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┗毛馬内秀範 ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┣政頼━━━━━━直徳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ 石亀大炊介 石亀七右衛門 ┃ ┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┣貞次━━━━━┳政直 石亀甚五左衛門 のち断絶 ┃┃ 石亀玄蕃亮 ┗政勝 石亀彦兵衛 明治元年支配帳 石亀 司家 ┃┣直方 石亀彦七郎 至子孫断絶 ┃┣政次 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃┃ 石亀七右衛門 ┃ ┃┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃┣政氏 明治元年支配帳 石亀七左衛門 ┃┃┃ 石亀平八 ┃┃┗女子 ┃┃ ┣━━━石亀茂平治成 明治元年支配帳 石亀 進家 ┃┗政房 石亀吉左衛門 明治元年支配帳 石亀満衛家 ┣楢山義実━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┣直隆┳宗隆┳隆常━隆好┳隆屋 明治元年支配帳 楢山佐渡家 ┃┃ ┃ ┃ ┗隆秀 明治元年支配帳 楢山五七郎家 ┃┃ ┃ ┗隆方 明治元年支配帳 楢山用臧家 ┃┃ ┗隆章 楢山七左衛門 明治元年支配帳 石亀益人家 ┃┗親実 明治元年支配帳 楢山蔵之進家 ┗楢山義治 なお、先の氏族との菅家を不明とするが、 三戸郡石亀村より出て石亀氏を称した、石亀徳五郎家がある。 諸士リスト(あ?い) 盛岡藩士の家系メインリスト |