一方井 いっかたい
一方井銀左衛門家
明治元年支配帳に一方井銀左衛門家がある。銀左衛門義忠は
一方井九郎作
の弟。柳生流剣術の奥義を究め、同流の師範となり、嘉永三年新たに召出され二人扶持(高十二石)を宛行われた。吟味方、駕籠頭を勤め、明治十一年に隠居、同二十三年死去した。明治十年の士族明細帳には、志家村十三番屋敷に居住と見える。義忠の跡を忠━安忠━ミチと相続、当主サダ氏は東京都に在住する。歴代の墓地は盛岡市北山の恩流寺にある。
諸士リスト(あ行)
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