平成15年2月27日
足で集めた1000戸の歴史
紫波町の志和公民館、地名・屋号の記録集発刊



 紫波町の志和公民舘(細川昇舘長)は「志和の地・屋号」を発刊した。地区内の屋号約千戸の調査結果と、集落ごとの分布図を掲載、約二年半がかりで完成した労作だ。編集委員たちは作業を通じて地区に息づく相互扶助の精神をあらためて確認し、同書がさらにきずなを強めることにつながればと願っている。  A4判、248ページでで「地名」「屋号調査」「考察」「文化財」など五章から成る。  地区内の地名の由来や、文化財を網羅し、全戸の約九割に当たる千五十一戸の屋号のいわれ、菩提寺、当主が何代目に当たるかなどを記載。それらの分布を表す独自の集落図も添付した。       地区内の屋号で最も多かったのが「○○カマド」で、続いて「桶屋ド」など職業を表すもの、祖先の名前、地形、地名、名字の順だった。ねずみ算のように子孫繁栄を願い「鼠屋敷」や、畝を六本もまたぐ身軽な爺様がいたことから「頑丈」が付いたユニークな屋号もあった。  各世帯尋ね調査・執筆  発刊に当たっては同公民舘の呼びかけで2000年8月、各集落の高齢者代表が一戸二戸訪ねて趣旨を伝え、調査を実施。翌年3月に編集委員会を発足させ、調査結果の整理や確認、執筆に当たってきた。  同地区は八戸南部藩の飛び地となるなど特異な歴史があり、郷土史研究が早くから盛んだった。上平沢、片寄の両小(学校)が戦前に行った「祖先調べ」は今回作製した名字の推移表、ランキング表づくりに大きく役立ったという。  巻末に八戸藩政時代の志和地区図や、南部杜氏発祥地となった村井権兵衝酒屋の資料も収めた。  新里盛編集委員長(72)は「屋号は名字を許されなかった庶民の知恵。祖先の暮らしを伝えるものとして大事に残したい」。細川舘長(69)は「皆さんの協力にあらためて地域のきずなを実感した。座右の書として地域に親しみ、信頼し合えるまちづくりに役立てれば」と期待する。問い合わせは同公民舘(ファクス兼019ー671ー7112)へ。

「岩手日報」平成15年2月27日


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