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平成24年2月6日 |
地域に歴史、ルーツあり |
雫石さんが大集合 |
雫石町でフォーラム かつての城主子孫も参加 雫石町の滴石史談会(大村昭東会長)は4日、「中世の雫石城主雫石氏の歴史をひも解くフォーラム」を同町中央公民館で開いた。岩手、宮城、千葉3県の「雫石さん」を集めたシンポジウムなどを開き、ふるさとのルーツを訪ねた。約100人が参加した。 盛岡市の近世文書研究所の工藤利悦会長が「史料で確かめる雫石城の歴史」と題して講演。滴石史談会の関敬一氏が司会した。 出席したのは盛岡市の雫石澄さん、花巻市の雫石千恵子さん、宮城県東松島市の雫石やすよさん、千葉県の雫石久志さん、雫石町の古館ミドリさん、土樋岩夫さん。雫石燈さんは元岩銀頭取の雫石隆孝氏の次男で、曾祖父の大島此面が士族の雫石家に婚姻し、雫石姓を名乗る。雫石千恵子さんは江戸時代の雫石氏直系とされ、先祖が花巻城代に出仕した。 千恵子さんは「城主と領民の間は支え合って、平和な暮らしを営んでいたのではないか」と祖先をしのんだ。澄さんは「八戸に仕事で行ったとき、名刺交換すると雫石さんに出会うことがあった」と各地に末えいの姿を見た。 雫石久志さんは宮城県松島町幡谷大鳥帽子の雫石家の別家出身。雫石氏の系譜を熱心に調査し、南北朝時代にさかのぼって論じた。 雫石やすよさんは東松島市の矢本の大曲地区に多数ある雫石家のひとり。亡夫が雫石氏の系譜を調査して、町を何度も訪れていたが、その資料が津波で流されてしまった。 やすよさんは言い伝えを紹介。「先祖が矢本に来たのは297年前のこと。わたしたちは雫石家の家系図を書こうと思い、夫が雫石町で古い寺や過去帳を調べ、岩手県の田中さんにも教えてもらって歴史を書いたものがあったのに、津波で全部どこかになくなった」と話した。参加者に改めて縁を感じさせた。 「雫石城から昔、戦に負けて落ち延びていった侍が、家来と一緒に雫石を名乗って住み着いたと言う」と、一族の言い伝えを話した。 |