平成22年6月14日
旧都南河東地区の屋号5年かけて500世帯調べる
地域住民が一冊の本に






盛岡市都南地区の乙部・手代森・黒川・大ケ生の地元学を楽しむ会(越戸福太郎会長)は「旧都南村河東地区の屋号と風土ガイド」を出版した。5年前から地域の検証活動を進めてきた。屋号は藩政時代に名字を持たなかった農村地域で、それぞれの家を示すものとして名付けたもの。地域の歴史を知る上で大きな意義がある。楽しむ会が2年がかりで本にまとめた。

 都南河東の4地区は約3千世帯。楽しむ会は、地域の情報誌「やさら」を発行しもいる会社役員の吉田廣身さん、ひさ子さん夫妻の呼びかけで各地区のお年寄りを中心に結成された。1、4、7、10月の年4回、各地区持ち回りでテーマを出して、「やさら」に掲載する地域の史跡の取材、編集をしている。

 屋号と風土ガイドは、「やさら」の取り組みの中で出版することになった。約500世帯分の屋号を掲載。各地区の地名の由来、創刊号から4月切日発行までの24号分の「やさら」、旧村地誌、年表で構成する。A4判175頁、史跡を示す地図も付録で付けている。

 掲載されている屋号をみると醤油屋(しょうゆや)、椛屋(こうじや)、床ヤ(とこや)などの職業がある。大ケ生には金山(かねやま)という屋号があり、金山で栄えた地域の歴史を物語る。孫助、勘十郎ど、勘九郎、勘太どなど先祖の名前も。阿弥陀や妻の神など借仰に関係する屋号もある。
 
 地形や地名に由来する名前もあり、半分(はんぶ)という屋号は乙部の方言で崖っぷちと
いう意味。この家が北上川の高台にあることなどが由来と考えられるという。蓬田(ゆむぎだ)はヨモギがたくさん生えていたことに由来する。細畑(ほそばたけ)は細い畑、反田(そりだ)という屋号は田が段丘になっていたと考えられるという。

 乙部公民館に編集委員が集まってこのほど発刊式が行われ、お年寄りたちが編集の苦労
を語り合った。

 藤原忠男さんは「わたしは15歳から大工の仕事をしてきた。昔から自分で手間(お金)を取らせてもらえば一人前、弟子を持ち指導するのが務めと言われてきた。地域の歴史を伝えることもだれかがやらなければならないこと。一人ひとりの力が形になった」と喜んでいた。

 下河原石雄さんは「この編集にかかわって聞いた話の中で、自分の家は本家といさかいがあり分かれたので○○かまどと付けないでほしい、うちは代が代わる都度屋号を変えているというところもあった。昔の屋号と現在では制度が異なっていることも感じた。いろいろな苦労があったが、これは貫重な史料になる」と、取材の苦労を話していた。

 このほか「地域の歴史はぼんやりとは分かっていたが具体的なことは分からなかったというのが本音」「乙部は4つの区域で構成されているが、自分たちが住んでいる地区のことはある程度分かるが、ほかの地区のことについて知らないことがよく分かった」「この本を読んだ地域の人たちから、いろんな意見が出てきて新しい情報が寄せられることを期待している」などと話していた。

 旧都南村河東地区の屋号と風土ガイドは初版本500部発行。売り切れた段階で第2版を発行する予定。1冊2千円(税込み)。問い合わせ・申し込みは岩手日化サービス内、
やさら編集室(盛岡市黒川22-56、電話019?696?5611)まで。

「盛岡タイムス」平成22年6月14日


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