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平成21年8月24日(月) |
人富めば則おごる 盛岡・近江商人400年の系譜 |
初代村市家の家訓 謙虚な心を失わずに |
近江商人の村井新七が盛岡藩にやってきてから約400年。岩手滋賀県人会(村井宏会長)は29日、盛岡市で記念碑の除幕とフォーラムを開く。 分家やのれん分けで一大勢力をなし、盛岡の発展に大きく寄与した近江商人。村井会長(80)方には、2OO4年まで公開していなかった古文書が多く現存する。示唆に富み、現代にも通じる戒めや近江商人の精神を、古文書などから探った。 不及子 の意味に重み 村井会長は村市家13代当主。自宅の座敷にはお盆の期間だけ、歴代村井市左衛門夫妻の肖像画「御絵像」を掲示し、床の間には年3回、初代の家訓・御遣誡(いかい)を掲げる。 肖像画の中には帯刀を許されたり、南部家の家紋「向鶴(むかいづる)」が入ったかみしもを着用している姿も見られる。 40字の御遺誠を書き下すと 「人富めば則(すなわ)ちおごる」 「おごれば則ち礼にそむく」 「そむけば則ち人ににくまる」 「にくまるれば則ち災いきたる」 「きたれば則ち損となる」 「損となれば則ち家貧し」 「貧しければ則ち人いやし」 「いやしければ則ち欲起こる」 「起これば則ち邪をなす」 「なせば則ち身ほろぶ」となり、勤勉などを説く。 藩制時代に重要な役割を果たした村市家だが、古文書は初代の遺言に従い公にされなかったこともあり、歴史の中から村市家は欠落しかけていた。村井会長と久子さん(78)夫妻は04年、「村市文書」を発刊。まとまった数の資料を初公開した。 初代市左衛門は村井新七の元を経て、質屋や酒屋などを営んで栄え、盛岡近江商人の三始祖の一人と称される。 日本各地で交易した近江商人のうち、新七も市左衛門も琵琶湖西側の湖西地区の出身だ。現地を訪れた村井会長は背後に山が迫っている地形から「ふるさとに戻る場所はなく、現地に打ち解けようと心掛けた」と盛岡で排除されなかった理由を推測する。 村井会長、久子さん夫妻がずっと考えているのが御遺誡にある「不及子」の意味だ。「自分は及ばざる人」と読み取れる。 近江は江戸初期の儒学者で陽明学派の祖、中江藤樹の出身地で、その影響が色濃く残るとされる。初代は事業に成功し、一代で財をなした。「いくら商売がうまくいっても謙虚さを失わなかった。そうでなければ考えつかないのではないか」と村井会長。御遺誡は「不及子」の3文字によって重みを増している。 三方よし 世間に役立つこと 「売り手よし、買い手よし、世間によし」を意味する。異郷で商売するとあって、当事者である自分と商売相手ばかりではなく、世間にも役立つことが重要だった。 盛岡市の村井宏岩手滋賀県人会長(80)、久子さん(78)夫妻によると、同様の精神は、盛岡近江商人三始祖の一人と称される初代村井市左衛門の遺書などに見ることができるという。 遺言には「欲深き商人は家危うし」 「とかく欲深きは損多かるべきこと」と利益だけに走ることを戒め、「子孫にはまず浮き世五常を譲るべし、財宝はともかくのこと」と求めた。 五常は論語で人が守るべき「仁」「義」「礼」「智」「信」を指しており、心の重要性を説いている。全国的に相次ぎ、大きな社会問題となった一連の食品偽装などの対極にある考え方といえる。 滋賀県の妙琳寺は寛文2(1662)年の地震で崩壊し、延宝4(1676)年に再建。その際の寄進譜には、当代きっての豪商のほか南部に進出した村井市左衛門、村井権兵衛、村井四郎次郎の名前も見られるという。古里を離れても、郷土への思いは変わらなかった。 4代目村井市左衛門は呉服などを商い、村市家の中興の祖とされる。天明の大飢饉で財政難に陥った盛岡藩に多額の御用金を寄進したほか、藩のため京都にお金の融通に出向いたとされる。4代目も遺言で五常を守るよう記している。 米国のエンロン社の不正経理事件をきっかけに、注目されるようになった企業の社会的責任(CSR)。企業は利益を追求するだけではなく、自社の活動が社会に与える影響に目を配り、責任ある行動を取るという考え方で、重視するのは社会とのかかわり合いだ。 盛岡藩の近江商人はCSRに相通じる精神を400年ほど前から実践していた (報道部・谷藤典男) 近江商人 1613(慶長18)年、南部藩主に招かれた村井新七が、現在の上の橋たもとに土地を与えられた。この地に店を開き、「草鞋脱ぎ場」とし多くの同郷者を迎え入れた。近江商人は酒造や金融、呉服商などを営み、藩や地域に貢献した。村市家は北上川舟運、尾去沢銅山経営、藩札発行などにもかかわった。 400年記念イベント 29日午前11時から、盛岡市本町通で「始祖 草鞋(わらじ)脱ぎ場」などと刻まれた記念の石碑を除幕。同日午後1時半から同市中ノ橋通のプラザおでってで公開フォーラムを開催。第1部は岩手古文書学会長森ノブさんの記念講演。第2部は作家の斎藤純さんがコーディネーターを務めパネリスト4人が意見を交わす。 岩手日報 平成21年8月24日・25日 |