江戸時代盛岡藩の時刻制度 |
2001.6.17 内藤雅義 |
『盛岡昼夜長短考』『天文地理弧度時刻表』による検証 (時鍾は何時に鳴ったのか?) 江戸時代の時刻制度は混乱していた。 (1)時刻の呼び方。暦面の呼び方と民間の呼び方では半時のずれがある。 図1.の?は暦面の呼び方、標準的なもの。「卯時」は5hより7hであり、「卯初刻」は5h、「卯正 刻」6h、「辰正刻」7hであり「卯一時」が2時間になる。 民間は?の様に「卯正刻」6hから「辰正刻」8hまでを「一時」としているので、「半時」のず れがある。これが更に「卯正刻」が不定時法の「六ッ時」となる。 (2)昼夜の長さの定義。暦面で2種。 1・日出から日入までを昼 2・明六ツより暮六ツまでを昼 明六ツは日出前2刻半、暮六ッは日入後2刻半。(1刻は1日24時間を100等分したもの、現行時 間で14.4分。2刻半は36分) そこで盛岡の人はどんな時刻法を使用していたかというのが、今回のテーマである。 『盛岡昼夜長短考』(佐久間光豹著)の日出時刻の呼称の方式 図1.の?時鐘に合せて一時を十分割にした定時法で、寅正七時七分などの様に呼称している。一 般的には一時を半分に細分して七ツ半、六ツ半のようにするが、ここでは時鐘の十分割を便用す る。これはより正確な日出時刻を表示するためと思はれる。 ?と比較して分る通り、同じ十二支でも1時間ずれている。 『天文地理弧度時刻表』(千葉胤秀著)の時刻の呼称 図1.,の?と図2.折畳式渾天儀?に書かれた、日出を「卯正」とする不定時法。 暦学者である中根元圭著『三正俗解』に「世俗朝の六時を卯刻、五時を辰刻などいふは誤な り。十二辰は日の長短にかかわらず常に平分なり…‥」とある。(「時と暦」) 世俗の呼称を使用しているとしても、日出をもって昼の始まりと見たような時刻割である。 「卯」とは「六ツ時」と考えれば、この「六ツ時」は日出であり、薄明の2刻半は考慮されない ことになる。以上が和算書からみた、盛岡・一関での時刻制度のうち時刻の呼称を調べたものである。 資料不足で不充分な調査であるが、中間報告として今後の探求を続けたい。 【参考】 『加賀藩の時刻制度と「蘭学者」』は「六つの太陽高度を地平線13度余り」とある。地平線下13 度は日出前約1時間になる。寛政暦以来、地平線下7°21′40″を六ツとしている。これが2刻半の根 拠となって、現在も常用薄明として使用されている。ちなみに世界的には市民薄明6°、航海薄明 12°、天文薄明18°である。13°とした理軸ま興味あることである。各藩の時刻制度を比較すれば 面白いと思う今後の課題としたい。 参考書 「日本の時刻制度」増補版 橋本万平著 塙書房1978.5.30 「日本・中国・朝鮮古代の時刻制度」斉藤国治著 雄山閣1995.4.5 「日本の暦」渡辺敏夫著雄山閣1976.11.5 「時と暦」青木信仰著 東京大学出版会1982.9.20 盛岡昼夜長短考 各節半昼刻差を求める式 (太陽の)赤緯の切線(tan)を置き、極高(緯度)の切線(tan)を以って之を乗じて得た数を大円半径1万(小数5桁まで計算しているから10万で割るべきと思うが)で之を除し半昼刻 差を得る。 これ以降の計算に次の符号を使用する。 太陽の赤緑 :∂ 日出時の太陽の位置 :S 日出時の太陽の時角(半昼) :H 春分から各節の時角の差(半昼刻差):△H 緯度(ここでは盛岡) :? 春分の日出時太陽の位置 :So 春分(秋分)時の時角 :Ho とする。 球面三角形 PZS において、球面三角法の余弦公式を使用すると、 cosZS=cosPZcosPS+sinPZsinPScos∠ZPS ここにZS=90°、 PZ=90°??、 PS=90°ー∂、 ∠ZPS=H であるから、 0=sin?sin∂+cos?cos∂cosH となる。これを整理すれば、 cosH=?tan?tan∂ (1)これが半昼即ち日出より正午までの時間である。 春分(秋分)の日は太陽が真東より出て真西に沈み、昼と夜の長さが等しい。 即ち春分の日出を6時とし、春分より何分早いか、遅いかを各節毎に計算する。 ここでH=Ho?△Hとすると、Ho=90°であるから、 cosH=cos(90°?△H)=sin△H sinAH=?tan?tan∂ (2) ∂は冬至が?、夏至が+ であるが、今は本文に従う。 (2)が半昼刻差の公式で、維を乗じて得られた数を正弦とし弧度を求むる、とあるのがこれである。 第1図 冬至の半昼刻差を求むる。(先に出した角度を時間に換算する計算)。 (西暦法)冬至弧度の首1位を度刻法の3.75°で割ると半昼刻差5刻となり、残り2.085°を度分 法0°.25で割れば、8mとなる。(ここでの西暦は清国の意味に採る) 5里(0.5m)以下は捨て、5里(0.5m)以上は括って1mとし上位に加える。 冬至の半量刻差は5刻8mとす。西暦96刻で15mを1刻上する方法である。 西暦法の冬至 昼 36刻14m。(48刻?5刻08mX2) 夜 59刻01m。(48刻+5刻08mX2) 日出 辰初1刻08m。日入 申正2刻7m (日本式)100刻割は冬至弧度を度割法の3°.60で割れば5刻7分となる。 5厘以下は去つ 以上は括って1分とし上位に加える。 冬至 昼 38刻6分。(50刻?5刻7分×2) 夜 61刻4分。(50刻+5刻7分×2) 餘はこれに準ず。(以下の各節の計算結果を第2表にまとめる。) 右6節気を以つて餘節を推せば図下のごとし。 (第2表)(mは原文は分を使用するが紛らわしいのでmにする。1/15刻である。) (表1の?は?の入力数値で計算した値で、?は本書の計算である。殆ど一致してが、啓蟄のみ誤差が大きい。本文と合せるため、?の数値で以下の計算を進める) ?太陽赤緯切線 ?北極正切八一・七○三 ?維を乗じて得た数 ?正弦と為して弧度を求むる(ラジアン)。 ? ?を°度数に変 ?同上、本手の数字。 ?冬至弧度20°.835を度割法3°.60で割る。(=5.7875となる)。5刻7分 ?100刻割を96刻割に換算する。 20.835 ¥ 3.75=5刻(整数部分):20.835 mod 3.75=2.085度(残): 2.085/0.25=乳34 度分法25で割れば8分なり。 ?順天府半昼刻差と比較する。頭注、再考するに此の数本藩の時刻と〓(吻)合す |