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| 南部家の名宝 4(完) 茶道具 奥道具 ほか |
| 梅原 廉 |
| 表道具の中でも能道具は豪華である。能は幕府や大名の式楽とされていただけに、歴代の藩主も演能を嗜み力を入れている。特に4代重信・5代行信が1685(貞享2)年、江戸城において「三井寺」を演じた時は諸侯を圧し、名声を博したと記録されている。その時の能面は「深井」で内側に「貞享弐年十月九日於御二之丸諸大名之能 上覧之時源行信 新好令作此面以勉三井寺之能」と朱彫銘がある。「能面(男蛇)」は『御面帳』に343面が記録されている中でも白眉の名品で、南北朝時代の能面の名手で特に鬼面に長じていたという赤鶴の作と伝える。「能面(般若)」は面裏の朱書きにより藩主利視の工夫による指図により、元休満総が製作したものであることが知られる。元休満総は桃山時代から江戸時代にかけての能面作家の家系である越前出目家の流れをくむ能面師であり、鬼面の深く鋭い面相は鬼気迫るものがあり上手である。「氷ゐてみかける影の見ゆるかなまことにいまや玉川の水」の歌も記されている。他に「能面(白露)」「能面(浮木般若)」(源助重保作)などがあった。「能太刀」は金具や鞘に向鶴紋を散らした豪華なもので、能衣装に相応の見事なものである。能衣装としては「紅地菊萩花文唐織」、「銀地竜草花文厚板唐織」などが伝えられており、能楽に熱心であったことが伺える。 飾り道具は、「御数奇屋」ないしは「広間」の飾りとして用意された。「御数奇屋」での接待は茶の湯が一般的で、北松斎が南部信直の名代として金澤を訪れた時も茶の湯の接待を受けている。盛岡藩の茶道に関する記録は『南部藩御当家御記録』の1610(慶長15)年3月の記事が最も古い。南部重信が江戸城へ登城した時、老中本多佐渡守が同道して駿河に参上して徳川家康に拝謁するよう仰せ付けられ、駿府において家康から直々、御数奇屋で茶の湯の接待を受けた内容のものである。その折に拝領したのが大名物「肩衝茶人(銘道阿弥)」である。これは漠作唐物の肩衝茶人で道阿弥(山岡景友)が所持したことから「道阿弥肩衝」と呼ばれてきたものである。はじめ家康が所持していたが道阿弥が拝領し、没後また家康に還り、南部利直が賜ったものである。翌年、利直はこれにより点茶を献じた。以来、将軍家と南部家と茶の湯を通しての親交があった。その後、南部重信が垂直の跡を継いだ時に長光の太刀共に献上している。他に南部家に伝来した大名物に「珠光文琳」があった。同じく漠作唐物の茶人で、茶の湯の開山とされる珠光(1423?1502)が所持したことから、この名がある。後に津田宗及から織田信長へ、再び宗及へ、そして袴田内匠、細川三斎、徳川将軍家、南部家へと伝わってきたものである。江戸後期になって茶道は益々発展を見せ流派の数も増えていった。一方では徒に細事の議論に終始する弊害も出てきた。9代藩主利雄はこの風潮を憂慮し、藩内の茶道の統一を図った。自らも江戸千家の川上不白に師事し、1773(安永2)年に真台子の伝授を受けている。「利休木像」は1808(文化5)年閏6月に藩主利雄から御茶道の上田善佐・大田原永務・袴田宗哲・梁田春茶に下し置かれたものである。 南部家の茶道具については、1837(天保8)年8月の『御茶道具御判帳』と1853(嘉永6)年3月の『御道具御判帳』があり、その全容を知ることができる。この記録で目に付くことは、1855(安政2)10月2日の江戸の火災の折に南部家の上屋敷が類焼しているが、焼失した道具類の多いことである。茶碗では宗雪や不羨斎、二代目長十郎や宗入などの作品が見られる。「黒楽茶碗(銘河某)」は7番目に記されている。「是木」「残雪」「鴎」「源氏雲」「芙蓉」「夕陽」「武蔵野」「禅のしづく」「むら雲」と銘した茶碗など今は知る由もない。この道具帳に「花巻焼菓子入」「花巻焼交址写菓子入」とあり、花巻で焼かれた陶器(花巻桜町窯)が茶道具として使われたことが分かる。国焼きのものとしては1837(天保8)年8月の『御道具御判帳』に「岩手焼茶人」の名が見える。盛岡に山蔭焼と称される窯が、職人を九州の唐津から召抱えて天保6年に聞かれている。この岩手焼とあるのは、これを指しているのであろうか。その後、13代藩主利済は1845(弘化2)年に楽焼の職人を召抱え、盛岡城内で御庭焼を行っている。この風潮は全国諸藩にも見られ流行した。「楽焼花生」は「御作信濃守様 楽御花生」と箱書きがあり、数少ない遺作として貴重なものである。
南部家所蔵 『盛岡藩の茶道』より転載 奥道具は大名の奥を形成する生活に必要なものが用意された。棚飾りをはじめ身辺の道具、遊戯具、婚道具など多彩である。婚礼道具は将軍・大名・公家間の婚礼の際に、嫁入り道具として製作されたもので、すべて同一の意匠や技法で装飾され、家紋が蒔絵されるのが通例であった。道具の形式は三棚(厨子棚・黒棚・書棚)、化粧道具(手箱・鏡台・角赤・小角赤・化粧箱・櫛箱・鼻紙箱など)、手洗道具(手水盟)、歯黒道具(歯黒箱・楊枝箱・昆布箱・盟)、文房具(硯・硯箱・文台・机・料紙箱・見台・文箱・短冊箱)、遊戯具(貝桶・碁盤・将棋盤・双六盤・十種香・宇治香・名所香・古今香・花月香箱・伽羅割・香盆・薫物壷及び台)、旅道具(旅箱・掛硯・扶箱)、武具(太刀・脇指・長刀)、飲食器(膳部)、その他(香枕・枕・帯箱など)となっている。「牡丹唐草向鶴紋蒔絵調度」は牡丹唐草文に向鶴紋を金蒔絵したもので、南部家ゆかりのものであるが詳細なことは分からない。豪華な婚礼道具である。「松竹梅葵紋蒔絵貝桶」は水戸藩主徳川斉昭の娘明子が輿入れの際に持参したものである。貝合わせの貝を入れる貝桶は、婦人の貞操を象徴するものとして遊戯具の筆頭に挙げられている。「笹椿違鷹羽紋蒔絵双六盤」も婚礼調度の一つで、盛岡藩主南部利敬の許へ広島浅野家から輿入れした教子が持参したものである。これらからだけでも大名家の婚礼調度の華麗さが伝わってくる。大名の婚礼道具は数十点から百合点に及ぶ大揃いのものであり、製作するのにかなりの期間を要したという。 年中行事の中で、その折々に使われる道具も蒔絵の施された華美なものが使われている。正月のものとしては「唐草向鶴紋蒔絵三方」がある。珍しいものに木製薬罐形の「向鶴紋散蒔絵酒器」があり、堅牢で瀟洒な出来のものである。また明治以降のものであるが、「銀向鶴紋銚子と三重盃」は家紋を高肉に深く彫り、優れた技を見せる。道具はあくまで使うためのものであり、これに贅を凝らすことが技術の昂揚を促している。 3 南部家歴代の画像と印章 南部家には歴代の画像が3種類伝えられている。一つは「歴代南部家当主画像」と称される紙本著色の巻子仕立てのもので、初代光行から35代(盛岡藩主10代)利正までの画像が描かれている。画像はすべて甲冑を身に着けた姿である。二つ目は紙本著色の軸装仕立てのもので、2代藩主利直から12代利用まで一幅に一人描かれている。これらはすべて衣冠束帯の姿のものである。三つ目は2代利直から13代利済まで、それぞれ色紙大のものに描いた紙本著色の画像で、三つ折りのもので、祭祀用と見られるものである。藩主画像はよく描かれ伝えられているが、このように形式の異なる3種類の歴代藩主の画像が伝えられているのは珍しい。 歴代藩主が使用した印章が多く伝えられている。家紋印は向鶴紋・武田菱紋・九曜紋・花菱紋・松笠紋があり、いずれも木製陽文のものである。伝えられている黒印では9代藩主利雄のものが最も古く、それ以後の10代利正・11代利敬・12代利用・13代利済・14代利義・15代利剛・16代利恭と幕末までの歴代のものが伝わる。いずれも銀製陽文のもので、彫が深く瀟洒な篆刻となっており、大小で一組となっている。 官位印は幾つか伝えられている。「南部利済官位印」は鋳鋼製の朱文方印のものである。組頭は羽を前にしてうずくまる形の鳳凰で繊細巧緻な出来となっている。文様を陽刻した「文様印」と称されるものは、円形の印面に宝珠を配し、天に日・月・北斗星、その周りに雲文を図柄としている。鋳鋼製のもので、鈕頭は林和靖が唐子と戯れながら文書に印を捺している姿である。 【参考】 ◎ 南部家の茶道具 ・、茶入 1、大名物を所持した諸大名 ・松平不眛味 11点 ・徳川将軍家 8 ・加賀前田家 6 ・若狭小浜酒井家 6 ・尾張徳川家 5 ・紀州徳川家 5 ・仙台伊達家 5 ・姫路酒井家 3 ・鹿児島島津家 3 ・盛岡南部家 2 道阿弥肩衝、珠光文琳 2、大名物の種類と点数 ・唐物 75点 古瀬戸 13点、計 92点 3、形姿 1. 肩衝 56 2. 茄子 12 3. 文琳 12 4. 丸壷 3 5. 瓢箪 2 6. 投頭巾 1 7. 蛮付 1 8. 大海 1 9. 槍鞘 1 10. 尻膨 1 11. 鶴首 1 ・、茶杓 1、紹鴎茶杓 ・箱 書裏に「紹鴎茶杓 筒江岑宗左極 左・花押」 ・筒 表に「紹鴎作 左・花押」 ・茶杓 正中に筋目をとおした無節のもので、舌の形状は菊の舌花状 の茶杓 南部家所蔵『盛岡藩の茶道』より転載・由来 『御茶之湯道具』[慶応二年(1866)寅十月]の「茶杓之 部」に16点が記録されており、それの十番目に ・「紹鴎茶杓 一 筒 江岑 箱書附 覚々斎」とある ・江岑 表千家四世、逢源斎、堪笑軒 ・覚々斎 表千家六世、原叟 『御道具御判帳』[天保八丁酉歳(1837)八月」の「茶杓」 の22点のうち、六番目に、 ・紹鴎作茶杓 壱 筒書付 江岑 箱書 不羨斎」とあり 「慶応四年三月 御前様江被進」と付記されている ・不羨斎 川上不白[享保元年(1716)?文化四年 (1807)] 江戸千家の開祖 ・、香合 1、立布袋香合 ・箱 蓋裏に「立布袋香合 ノンカウ造 宗守・花押」 ・銘 背に「楽」の刻印が斜めに大きく入る。 ・香合 顔と腹は黒褐色となり、他は朱色がち、微妙な色合が交じり 愛嬌のある笑顔が何ともいえない ・由来 『御茶之湯道具』(慶応二年寅十月)の「香合之部」9点の筆 頭に、 ・「立布袋香合 一 ノンカウ造 宗守箱書」とある ・ノンカウ[慶長4(1599)?明暦2(1656)] 楽家三代.名は吉兵衛、のち吉左衛門.剃髪して道入 名工で楽家の最高峰とされる 朱釉は楽家の秘伝、「楽」は「白」が「自」となる ・宗守 武者小路千家 2、桑重香箱 ・香箱 三段重ねの香合で、上の二重は桑の木、下垂は青楽となる。重 香合の覆いは、桑の木で作り蓋付きの四足となる ・由来 『御道具御判帳』[天保八丁酉歳(1837)八月]の「香舎」32 点の筆頭に ・「桑重香箱 下重青楽 壱」とある ・、蓋置 1、金溜三人形蓋置 ・蓋置 三人の庸子人形が前向きに手を繋いで輪となる「三ツ人形」の 蓋置 金溜の技法で焼成されたもので、金と黒の対照が効果的 ・由来 『御茶之湯道具』(慶応二年寅十月)の「蓋置之部」のうち、 七種の金溜の中に ・「同金溜 一、三人形 同(蓋置) 一 同作(楽吉左衛門作)」とある 『御道具御判帳下帳』[嘉永六年(1853)三月]の「蓋置」に ・「十一代吉左衛門造 一、七種蓋置」とあり 穂屋、三ツ唐子、一閑人、三ツ葉、夜学、栄螺、蟹 の七種の蓋置が記されている 【参考】 南部家の名宝 1 刀剣 南部家の名宝 1-2 刀剣 道誉一文字 亀甲貞宗 附「刀剣名物帳」 南部家の名宝 2 鉄炮 南部家の名宝 3 甲冑・陣羽織・旗・幟・馬標・采配など |