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| 南部家の名宝 1 刀剣 |
| 花巻市博物館長 梅原 廉 (近世こもんじょ館顧問) |
全国の近世諸大名のうち中世から同じ版図を領有し存続した大名は、薩摩藩の島津家と盛岡藩の南部家の二家だけである。南部家には、それを象徴する宝物が伝来してきた。一つは鳥頚太刀拵として著名な「雉子尾雌雄御太刀拵」である。これは室町時代、南部義政が永享の乱(1438?39)で戦功を挙げ、将軍足利義教から拝領したものであったが、江戸時代初期に焼失してしまった。由緒あるものをそのままにしておくにしのびず1677(延宝5)年に資料を基に復元された。それに関わった職人について「文政11年5月 諸職人被召出并御賞書上」に御金具師九蔵(高原家初代)が寛文年中に雉子尾御太刀御用を仰せ付けられ、御鞘師・林藤右衛門が延宝3年に同御用を仰せ付けられ製作したことが記されている。これによって、それぞれ8人扶持で召抱えられ盛岡に移住している。 南部家が鳥頚太刀拵を好んだのは、この故事に由来したのであろうか。他に「鷹頭御陳太刀」と「鳳凰御陳太刀」がある。「鳳凰御陳太刀拵」については前記の九蔵の所の記録に「天量院様御代享保十五年二月鳳凰御陳太刀御金具拵上候に付き云々」とあり、御鞘師山口又兵衛の所に「享保十五年二代目又兵衛鳳凰之御陳太刀仰せ付けられ拵え上げ候処云々」とある。「文政十一年子十二月 御宝蔵腰物帳」には「利視公新規仰せ付けらる御太刀也」とある。 これらの太刀拵について明治に入って全国宝物調査に携わった今村長賀が優美さといい、豪華さといい他の追随を許さないと絶賛している。雉子尾御太刀拵については「此の造方は実に珍しく世間類なしというも可なり」「諸家にて所蔵せらるる太刀には随分大金を費やしたる立派なるものあれども、此の如く奇なるものあらず、且つ多くは外形のみ立派にて中身は甚だ粗末なるもの多しとす。此の太刀の如きは拵といい中身といい至極揃いたるものなり」と評し、鷹頭御陳太刀拵と鳳凰御陳太刀についても「雉子造と同じく無類の拵なり」としている。これらは例年正月の具足飾りのおりに柳の間に具足や馬印・弓矢などと共に飾られ、家臣に拝見させている。これらは大名が備える道具の中で表道具といわれるものである。その中でも特に刀剣は武士の魂といわれ、最も高い格式を与えられていた。 南部家に伝来してきた太刀の中で、八代将軍徳川吉宗が本阿弥家(13世光忠)に命じて古今の名刀について報告させた『享保名物帳』に記載されたものに「道誉一文字」と称された太刀がある。これは南部家の『御宝蔵御腰物帳』に「尾張中納言綱誠卿より被進」「此御刀名物に付、本阿弥方より公儀へ書上置」とあるのに相当する。「道誉一文字」の異名は、この備前の一文字派の刀工の鍛えた名刀を南北朝時代の武将・佐々木道誉が所持していたことに由来する。これが回り回って松平伊代守(池田綱政)、尾張中納言綱誠へと渡り、当時南部家で所有していた「亀甲貞宗」(これも『享保名物帳』所載、現国宝)と交換に、尾張徳川家から南部家にもたらされたものである。その後、1928(昭和3)年に南部利淳から昭和天皇に献上され、現在は御物となっている。今でも時折、東京国立博物館に展示され目にすることができる。このように『享保名物帳』に記載された大名物が南部家の表道具として伝来しており、武門の誉れを於持としてきたことが伺える。 南部家所蔵刀剣に対する本阿弥家の鑑定による評価 ◎ 本阿弥家の鑑定による評価 ・. 上々、上、中、下の4段階の評価 1、上々のもの 8口 外に(1)
2、上のもの 41口 外に(18)
・. 評価額による
・. 拵の優品
評価別はこちら 【参考】 南部家の名宝 1-2 刀剣 道誉一文字 亀甲貞宗 附「刀剣名物帳」 南部家の名宝 2 鉄炮 南部家の名宝 3 甲冑・陣羽織・旗・幟・馬標・采配など 南部家の名宝 4(完) 茶道具 奥道具 ほか |