多田新助

小山田新助別名 210209

小山田直弥家祖・新助。延宝元年に江戸で召出され、麹町家家老勤中に幕府より小山田弥市郎の氏名手配書が配布され、命によって多田氏と改め多田新助を称した。のち病により宝永三年退役、盛岡に帰った。同四年前禄を停めて十両二人扶持(高六十二石)となった。この年隠居して春水と号した。笠原玄蕃に六義を学び詩歌を能くしたと伝えられ、本阿弥光常について相劔の法を学び精通した。宕山集五巻、相劔録二巻その他の著がある。享保十七年死去。初め高清水寺に埋葬、のち盛岡市愛宕町の恩流寺に移した。その子惣左衛門義啓の時、享保三年小山田氏に復した。


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