小笠原直弥 定之 |
明治初年 直弥定盈(のち定郎)の改名 |
恭五郎定往(のち衛門)改め、小笠原競の嗣子 明治初年 直弥定盈(のち定郎)が小笠原直弥と改名 次いで小笠原定之と改めた 明治三年家督を相続。同十一年の士族明細帳によれば、仁王村(盛岡市)八十三番屋敷に住居と見える。画を川口月嶺に学び直哉また直嶺と号し仏画を多く描いたと聞こえ、死後その家に、美濃紙に描いた羅漢像が四五百枚はあったという。漢籍に通じキリスト教徒で「奇矯にして変人」を以て知られた。(人物志) 奥瀬直弥家 諸士リスト(う?お) 盛岡藩士の家系メインリスト |