一、浄法寺家之事

浄法寺氏の没落とその後

 畠山庄司次郎重忠三男出家大夫房阿闍梨重慶、奥州二戸郡浄法寺に住し、父重忠依讒討死。両兄共殺害を憤り兵を起すの企あるより、鎌倉の命により長沼五郎宗政討手とし来り。重慶誅せらる、其男幼弱民間に潜み、後浄法寺太郎重基といふ。夫々住居して近村を従ひ一家をなせり。南部守行公に應永の頃より従ひ軍功あり。信直公御代五千石を領し、浄法寺修理重安、九戸攻に功あり。帯刀と改む。其男修理重好利直公に仕へ二千石。岩崎従兵。慶長八年故あり没収。寛永四年卒。其子浄法寺内蔵丞浪人、松岡八左衛門好忠と改む。伯父藤右衛門正吉の願に依り、和賀郡藤根村弐百石を給ふ。明暦二年なり。
帯刀重安二男松岡藤右衛門正吉は、初は覚助。元重好没収の時浪人。秋田に走り其後帰参。仕利直公弐百石を給ふ。和賀郡藤根村新田願上、宗家甥八左衛門好忠に弐百石・弟市兵衛忠賀へ百五十石配分被下置、重直公御用人御加判被仰付、加増合三百石。又鹿角郡二戸郡新田願上一族兼本臣下の者へ配分被下置、寛文五年八十五歳卒。其男藤右衛門美成、始め覚右衛門といふ

一族逝臣下

松岡尾張       浄法寺松岡の庶流とあり、何年に分れしや不詳。信直公に仕へ三百石
利直公に仕へ岩崎従兵、没収
松岡助四郎      尾張子     喧嘩死
松岡惣左衛門     尾張二男    浪人
松岡七右衛門     惣左衛門子   仕松斎五十石
松岡民部政興     浄法寺支族   分流年限不詳 長男越前五十石重直公代没収
松岡内蔵助政成    民部子     仕政直君五十石
松岡武兵衛政体    内蔵助子蔵人
松岡万三郎政供    内蔵助二男   新田六十石
太田源四郎忠族    畠山重忠弟長野六郎重宗 大串新六郎重範十六代に浄法寺に住し、仕
信直公 於鹿角柴内討死
太田源四郎忠能    忠族子     仕利直公百七十石
太田源兵衛忠則    忠能子     没収 
太田源太夫忠継    忠則二男    重信公百石
駒ヶ嶺内膳保忠    内膳子
駒ヶ嶺四郎太夫忠武
駒ヶ嶺治郎忠則    四郎太夫子   七十石
吉田右近忠徳     駒ヶ嶺忠武三男 仕利直公二百石
註 使用した写本には忠近とある。 右近は参考諸家系図により修正した
吉田作七忠行     右近子     没収
田山八兵衛忠旦    同流      五十石
西舘将監忠珍     浄法寺分    六十八石
西舘四郎右衛門忠茂  将監子     七駄二人
田山八太夫重防    八兵衛子    没収
五日市兵庫忠教    同流      二百石
五日市左近忠岩    兵庫子     五十石
有居忠兵衛
大森十太夫忠善    同流
大森弥兵衛忠今    十大夫子
大森庄五郎忠安    忠今子     新田百石
畠山左馬助
畠山孫七忠保
中川原小兵衛忠有   孫七子     三十五石
畠山善蔵正和     同流      七戸住
駒ヶ嶺喜成正国    正和子     七戸
駒ヶ嶺善蔵正勝    正国子
畠山甚兵衛光元    同流      七戸住
畠山治右衛門光成
浦田久六光正     治右衛門子   七戸
杉村六左衛門光寛   浄法寺杉村に住し、斎藤吉之丞男 重直公御代御鷹匠に被召出五駄二
人扶持被下
杉村六郎右衛門光福  六左衛門子
杉村六左衛門光昌   六郎右衛門子
杉村次郎右衛門吉矩  光寛二男    五十石
野続甚五郎久業    浄法寺旧臣   主家没収浪 人重直公召出し三駄二人扶持
野続喜膳久徳     甚五郎子没収
野続慶卜一久     喜膳子     五人扶持
野続源内一光     一久子     四駄二人
松岡藤右衛門正吉   新田願上配分被下置寛文八年(後欠)
駒ヶ嶺兵右衛門正家          福岡与力五十七石
駒ヶ嶺兵左衛門義利  正家男     花輪御給人
駒ヶ嶺武兵衛好忠   正家二男    七駄二人
大森七右衛門盛常           福岡与力九十石
大森五郎右衛門盛定  七右衛門子   御給人
大森甚右衛門盛秀   五郎右衛門子
大森助十郎盛重            毛馬内与力六十二石
大森利兵衛盛光    助十郎子
大森助之丞忠時            福岡与力三十石
佐藤助左衛門正良           福岡与力八十石
佐藤庄左衛門良正   助左衛門子
佐藤庄左衛門近良   良正子     御給人
佐藤庄兵衛政常    正良二男    福岡御給人十五石
佐藤専右衛門正道   近良二男    御給人五十石
佐藤庄之助正房    正長三男    浪人
安ケ平喜右衛門義重          福岡与力七十石
安ケ平喜右衛門義範
安ケ平善右衛門義配  義範子
関与平治定政             福岡与力九十石
関与八郎定久     定政子
関七之助定〓     定久子    〓日冠に高


奥南落穂集改題


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