一、岩手郡之次第 |
鎌倉御家人の裔・工藤氏と岩手郡の諸士 |
往古は誰人の居られしや、大同年中田村麿奥州征伐の後平均せり。追々強きは弱を奪ひ穏かならず、一条院御宇堅剛蝦夷蛭起、安東太郎国東此乱を鎮撫し、其男太郎頼良陸奥六郡司となり、隣郡を掠領し、其男安太夫頼時に至て奥州半国、出羽二郡に及ぶ。永承中叛逆、源頼義追討天喜五年矢に中り死す。嫡男厨川次郎太夫安倍貞任岩手郡厨川城に住す。兵を起し大に競ふ。康平五年滅亡す。跡に出羽住人清原真人武則に六郡を給ふ。寛治年中清原家衡叛す。源義家是を討亡し、其時軍功有る権太夫藤原清衛に六郡を賜ふ。其五代孫伊達次郎泰衛まで岩手を領すや、従兵の内に岩手六郡(郎ヵ)遠景あり。何人なるや文治五年頼朝公奥州征伐泰衛滅亡。此軍功により闕所地を御家人に分配し給ふ。其中に伊豆の住人工藤庄司景光の男工藤小次郎行光に岩手郡地頭職を給ふ。中務丞に改む。其男工藤中務太郎長光建久年中下向厨川に住し、三代工藤中務丞徳光、四代工藤小次郎繁光、五代工藤小次郎光敏、六代工藤主計允種光と云ふ。又行光弟工藤三郎祐光も同く岩手郡に住し、元弘の頃より南部家に従ひて三戸郡坂牛村に住し坂牛氏の祖とす。其分け九戸郡福田氏の祖なり。應仁年中工藤分流して南部家に仕へ九戸郡葛巻村に住し、是れ葛巻・田頭・穴沢・杉沢氏の祖なり。天弘の乱起り南朝方北畠顕家卿ノ従兵に加り、其後は南北の敵味方日々相変じ互に領地を掠奪ひ又は争戦家名を失ふあり。国人郷士皆一家々々なして郡主の命を受けず。工藤家も漸々厨川村のみ領知なり。厨川氏を称して南部家に従ふ。厨川兵部少輔光林は行光より十三代の孫にて、天文年中田子左衛門尉高信君出張の砌は服従して岩手衆残らず南部家の従兵に定る。光林は旧領の内八百石を安堵し、其男厨川豊前始め小次郎父の遺領は百石、信直公に仕へ草々戦功を尽し、慶長元年卒。百十一歳。其男厨川豊前如光始め仁右衛門。利直公に仕へ二百五十石となり、御使番、元和二年卒。二男家督。栗谷川仁右衛門友光と云ふ。故ありて没収。浪人。重直公御代旧地の内新田十五石を給ふ。豊前如光長主殿は利直公別に被召出、煙山村に三百石被下煙山主殿光邦と云ふ。其子煙山主殿光慈は二百石となる。二男は煙山七郎兵衛光弼。分地五十石。此孫八戸にあり。 工藤一族並岩手ノ衆 厨川兵部光忠 一衛 兵部少輔光林二男 仕利直公上関村百石 後換田頭村三百石 厨川作兵衛光傅 光忠子 没収 栗谷川小次郎義茂 光傳の子 七駄二人扶持三戸に住す 厨川兵衛光基 光忠の二男 浪人 栗谷川作兵衛満清 光基の子 六駄二人 栗谷川五兵衛光房 光矩の子 五十石 栗谷川五郎助光矩 光忠の三男 浪人 栗谷川右衛門光中 光明の子 喧嘩没収 栗谷川吉次光明 光忠の四男 百石 栗谷川兵右衛門光高 光忠の五男 浪人 上関右衛門光成 一族 信直公に仕ふ 百五十石 上関源兵衛康光 源右衛門の子 没収 上関右衛門正金 源兵衛の子 没収 福士淡路守政秀 甲斐源氏板垣兼信後胤 甲州以来旧臣岩手衆を従ひし頃より不来方城に 住し信直公に仕ふ 福士伊勢秀治 淡路の子 百五十石 移鵜飼村 鵜飼宮内秀純 福士秀治の子 命に依て鵜飼氏に改む 鵜飼治部右衛門秀路 宮内の子 福士右衛門 福士因幡 福士彦三郎 一方井刑部入道禅門 安倍貞任の後 安東太郎盛季孫 羽州秋田より来り、代々一方井村に住 し、田子高信君に仕ふ。女は信直公の母なり 一方井孫次郎安元 禅門の子 信直公に仕ふ 七百石 一方井刑部少輔安信 安元の子丹後 利直公に仕ふ 一方井孫次郎安行 安信の子 大坂に従兵 元和三年卒 一方井刑部安武 安信の四男 九助安次家督 一方井九助安忠 安武の子 百五十石となる 一方井甚兵衛安定 安元の二男 五十石花巻に住す 米内丹後守政成 一方井禅門の弟米内左近宗政の男子なり 米内村に住し信直公に仕ふ 米内右近正吉 丹後子 実一方井の二男 四百石民部 米内右近正邦 正吉子孫二郎 二百石 米内孫右衛門政忠 正邦子 実松岡蔵人四男 米内出雲政連 正吉二男孫兵衛 利直公に仕へ百石 米内出雲政弘 政連子孫八 米内孫左衛門正親 政連二男 七十七石 米内丹後政恒 政成二男孫十郎 利直公に仕へ四百石 米内孫七正堅 政恒子 没収 米内逸角 米内孫惣光政 政連三男 四駄二人 米内孫四郎政唯 政連四男 十三駄二人 米内孫之丞政春 政連五男 四駄二人 日戸内膳秀恒 河村四郎秀清末流 宗家は志和郡大萱生なり 岩手郡日戸に住す 信直 公に仕へ千六百石 野辺地城代勤め寛永元年卒 日戸内膳秀武 秀恒子五兵衛 千三百石野辺地城代 日戸内膳直秀秀武子五兵衛 日戸助三郎秀盛 直秀子 承應三年貝田沢卒 五兵衛 日戸仁兵衛秀春 秀武二男 御馬方五駄 日戸勘十郎秀親 秀武三男 百五十石 日戸三十郎秀和 秀武四男 三十駄 渋民利兵衛秀勝 日戸分 信直公に仕へ始め助市 渋民理兵衛秀吉 秀勝子助市 渋民六郎兵衛政国 秀吉子 河村小三郎直秀 河村四郎秀清末流 日戸・大萱生同流 岩手郡玉山村住し信直公に仕へ 三百七十石 玉山大和秀甫 小三郎子 玉山兵庫秀久 大和子六兵衛 寛永四年卒 玉山六兵衛秀之 兵庫子 二百石 玉山監物秀隆 小三郎二男 浪人 玉山弥右衛門秀邑 監物子 十駄二人 玉山庄之助秀安 大和二男 五駄五人 川口左近秀長 玉山分 川口村住 信直公に仕へ四百石 川口与十郎秀影 左近子源之丞 川口与十郎秀寛 与十郎子 八戸家中 川口主水秀信 左近弟 信直公に仕へ百五十石 川口主税秀定 主水子 川口治部 左近二男 三十八石 下田弥三郎秀祐 日戸玉山同流 下田村住 二百石 下田内記秀邑 弥三郎子 没収浪人 下田清之丞秀勝 内記子 四駄三人 沼宮内治部春秀 右同流沼宮内住 沼宮内治部春久 治部子 沼宮内治部久幸 春久子 無嗣断絶 沼宮内采女久秀 春秀二男 浪人 沼宮内武左衛門秀昌 采女子 新田五十石 沼宮内伊兵衛秀喬 武左衛門子 百石 上田越前貞倚 坂上田村麻呂後胤 代々岩手郡上田村住人 応永の頃より南部家に従 ふ、天正年中仕信直公三百石安堵す 上田弥兵衛貞方 越前子 没収十駄二人花巻 上田弥七郎貞治 弥兵衛子 上田九郎助清貞 弥七郎子弥兵衛 上田采女貞就 同流上田住仕 上田傅之丞貞之 采女子 上田太兵衛貞友 傳之丞子 没収後四駄二人 花巻住 上田兵部忠武 藤原姓人 何時頃よりか上田村に住し、始め彦三郎と云ふ。慶長二年仕 利直公二百石 寛永中卒 上田兵部忠重 兵部子 庄右衛門 没収二人 上田永宅福章 忠重嗣 実荒木田定次三男、兵部忠重女、御老女勤名跡命により重信公 御代百石となる 萄池勘解由武照 肥前国菊池支族 何時頃よりか岩手郡沼宮内住居。天正年中仕信直公旧地江苅内村二十二石 菊池久助武次 勘解由子 菊池久助武定 久助子 菊池某 矢幅又右衛門定政 岩手郡下田村郷士 矢幅甚右衛門政好男 仕利直公百石 没収再仕政直君五十石花巻住 矢幅八右衛門愛政 又右衛門子 百石 矢幅八右衛門政武 八右衛門子治助 百六十石 矢幅八兵衛政義 愛政次男 五駄二人 田口善五郎高藤 岩手郡雫石庄住し、仕利直公 田口子百五十石慶長十八年卒 田口長松藤峯 善五郎子長松子 没収 田口庄左衛門清藤 庄左衛門二男 十駄二人 田口弥左衛門藤好 鵙逸左衛門次郎 岩手郡鵙逸村住人 田子左衛門高信君に従ひ岩手志和接戦に功あり、旧地二百石 仕信直公 鵙逸弥五郎 左衛門次郎子 百石 鵙逸弥五右衛門 弥五郎子 七十石 鵙逸弥左衛門 帷子豊前吉平 御譜代佐藤彦五郎真次弟新助綱直 建武の頃より依君命岩手郡住居。十 二代孫、仕信直公 帷子村を給ふ 帷次郎五郎吉真 吉平子 二百石 帷多左衛門吉松 吉真子 三百石 帷子惣右衛門吉明 吉真二男 鎌田和泉 鎌田六右衛門政珍 舘市但馬 河原掃部 太田将監 南舘右京 元信弥六 浅岸弥五郎 橋場下総 阿部新右衛門 御明神右京 用沢甚右衛門 奥南落穂集改題 |