一、閉伊郡之次第 |
閉伊源氏・田鎖党の諸氏 |
往古より中田城に住せし人。藤原秀衡旗下、文治五年泰衡従兵。閉伊右衛門太郎武国弟兵衛尉則国あり。武国子閉伊次郎武芳・同五郎武保兄弟共中田城に討死。其末葉終る所不詳 鎮西八郎為朝四男嶋冠者為頼。母ハ藤沢庄司三郎忠重女。大嶋に生長し、鎌倉へ来て頼朝公に謁し、依命佐々木四郎高綱の猶子となり、佐々木十郎行光と改む。奥州閉伊郡半の地の地頭職を給り建久元年下向。田鎖城に住す。其男閉伊出羽介家朝二男、同三郎行朝、此枝葉多し。元弘ノ乱北畠顕家卿の従兵。閉伊々々々(ママ)あり。應永・永享頃宗家大に衰ひ、守行公閉伊征伐の時、一族皆従ひ、其後は一族支流の輩一家をなして、宗家の命に違ふ。追年宗家も国人の列に落入る。天正十八年秀吉公へ参礼無之輩は征伐の旨承り、田鎖城田鎖遠江守光好男十郎左衛門光重、三戸に来り信直公に仕ふ。二戸郡にて百五十石給り永く臣下となる。其男十郎左衛門光吉、立花番所を勤む。賊徒の為めに殺され食禄没収せらる。其子田鎖庄三郎光金は三人扶持を給ふ。光好二男薩摩重頼浪人。閉伊に住す。右一族支流多し。 閉伊十郎行光の分流支族並閉伊衆 田鎖次郎左衛門光周 遠江守光好二男 仕利直公六十石 田鎖善九郎義重 光周男 田鎖次郎右衛門光明 光周三男 仕松平伯耆守綱清 田鎖次郎兵衛光清 光周二男 仕利直公二百石 田鎖助太夫政勝 光清男 寛文元年自殺 田鎖三郎兵衛高勝 光晴二男 仕越前忠昌後帰参 田鎖庄右衛門吉網 同流光好二男孫 仕利直公五十石 田鎖庄助吉晴 庄右衛門子 田鎖庄右衛門吉清 庄助子 田鎖右京光賢 光好弟 仕信直公百石 田鎖仁兵衛光親 右京子 五十石 田鎖五郎光剛 仁兵衛子 三上才兵衛と打果死 佐々木内蔵助義就 一族 仕信直公五十石 田鎖武右衛門綱茂 庄三郎子 新田五十石 田鎖 田鎖庄三郎義次 佐々木内蔵助子没収 佐々木新四郎 内蔵助弟 仕利直公百石 田鎖六兵衛 新四郎子 没収 田鎖長次郎光尚 一族 仕信直公五十石 田鎖長九郎光世 長次郎子 勘定方二駄二人 田中長兵衛高安 光世子 鳥見五駄二人 田鎖修理 一族 仕信直公 田鎖甚右衛門 修理二男 浪人 田鎖清右衛門 修理三男 仕利直公 田鎖右近 修理子 仕利直公 田鎖茂右衛門正陣 右近子 五十石 蟇目茂右衛門正忠 正陣子 二百五十石 田鎖伝右衛門勝吉 右近三男 七駄二人 田鎖勘五郎政興 伝右衛門子 中村金左衛門信則 田鎖清右衛門子 二百石 高濱弥右衛門光継 一揆 仕信直公三百石没収 高濱三五郎廣安 弥右衛門子 新田九十石 高濱弥太夫信廣 三五郎子 和井内三平光積 一族 仕信直公六百石 覚右衛門 和井内覚左衛門光吉 三平子 没収五十石 和井内覚太夫光安 三平二男 六駄二人 赤前中務忠光 一族 仕信直公二百石 赤前四郎右衛門義似 中務子 赤前四郎右衛門吉保 四郎右衛門子 大沢与右衛門秀久 一族 仕遠野 仕利直公二百石 大沢勘解由久親 与右衛門子 五十石 大沢甚右衛門義業 久親子 百石 大川彦兵衛清茂 一族 仕信直公百五十石 大川彦兵衛光清 清茂子 五十石 大川彦十郎清峯 光清子 片岸用之助安俊 一族 仕信直公百五十石 片岸用之助安春 安俊子 辞禄後五駄二人 片岸庄右衛門安秋 安春子 重茂与十郎義武 一族 仕信直公八十石 重茂与三左衛門茂国 与十郎子 百石 重茂権十郎義房 与三左衝門子 横死 重茂掃部光長 一族 仕利直公五十石没収 重茂又五郎光季 掃部子 浪人 重茂次郎作綱清 茂市右近光実 一族 仕信直公二百石 茂市三太夫実福 右近子 百三十石 茂市右近光金 三太夫子 依君命桜庭ノ嗣トナル 苅屋左衛門 一族 仕利直公二百石 苅屋越中 左衛門子 苅屋弥一郎親正 越中子 没収 花輪安房為政 一族 浪人 花輪内膳正朝 為政子 仕利直公 花輪八兵衛正矩 内膳男 百石 花輪十郎親朝 内膳二男七右衛門 花輪七右衛門政方 十郎子 百石 花輪金蔵政氏 七右衛門子改七右衛門 苅屋五兵衛為勝 内膳三男 百石 苅屋長五郎為房 内膳四男 浪人 苅屋源吾為正 五兵衛子 箱石備中義如 花輪安房五男 浪人 箱石嘉右衛門義番 備中子 三駄三人 箱石清左衛門義致 備中三男 御同心 田代安芸光陽 一族 仕信直公四百石 田代治兵衛光恒 安芸子 百石 田代治兵衛光貞 光恒子 重直公代二百石没収 田代判左衛門致光 安芸二男 百八石 田代甚五右衛門純光 判左衛門子 田代首令為光 甚五右衛門子 正徳二年横死断絶 山崎大内蔵親定 一揆 仕信直公百石 山崎善右衛門親吉 大内蔵子 山崎小五郎親房 善右衛門子 江刈内小左衛門久賀 一族 浪人 後新田十七石 江刈内政右衛門久冨 小左衛門子 江刈内左門林久 政右衛門子 小山田越前吉範 一族 仕志和・稗貫 小山田越前吉前 吉範子 仕利直公十駄二人 小山田久左衛門吉行 吉前子 近内長左衛門為如 一族 仕信直公七十右 近内長右衛門為矩 長左衛門子 近内長之丞光抄長 右衛門(子ヵ) 自殺没収 荒川平次郎正則 一族 仕利直公 荒川平右衛門盛光 平次郎子 荒川喜藏重則 平右衛門子 釜石新十郎 一族 釜石新助 新十郎子 仕利直公百石 釜石庄九郎 新助子 浪人 長沢九郎兵衛綱則 支族 後年被召出 長沢七兵衛綱教 九郎兵衛子 長沢三内綱忠 七兵衛子 長沢善太夫吉督 花輪分 長沢弥五郎安光 箱石分 長沢八右衛門保幹 田鎖分 船越伊豫守長行 小笠原長清支族 閉伊都船越村住居七代ノ後胤 船越弥太郎安政男 船越助五郎安国 長行子 仕信直公九百六十石 船越弥兵衛安秀 助五郎子 三百石 船越弥兵衛安昌 安秀子 小本土佐守正長 三浦義明支流 閉伊郡小本村に数代住居し、信直公被 仕百五十石給ふ 小本土佐正衡 正長子 小本助十郎正親 正衡子 小本助兵衛正吉 正長二男 百石 阿部勘助親長 豊間根住人 仕利直公五十石 箱石助左衛門慶備 勘助子 百石 箱石半兵衛長親 助左衛門子 仙徳伊豫守行重 南部一門一戸後胤 南部氏一戸氏を称し閉伊衆服従 目代として仙徳城に住す 一戸東膳助行実 行重男 称刑部左衛門 天正三年卒無嗣 汗石安芸守長重 行重三男 津軽に移り討死 津軽石九郎勝冨 一戸義富三男 仙徳と争戦死す 江繋伯耆正光 行重三男 仕信直公三百石 『参考諸家系図』3 は、江繋彦四郎正朝男に作る 江繋喜左衛門正義 伯耆三男 家督百三十石 八木沢与四郎光興 伯耆嫡男 別百七十石 左馬と改む 八木沢久三郎正興 伯者二男 江繋喜左衛門と云 九戸に一味 八木沢金九郎正景 久三郎子 五駄二人 奥南落穂集改題 |