一、遠野家之次第 |
慶長六年、阿曾沼氏再興ならず没落 |
藤原秀郷九代足利七郎有綱二男。下野住人阿曾沼民部丞廣綱、頼朝公に仕ひ軍功より武州一内地頭職を賜り武蔵に住す。奥州征伐の功に依り、閉伊郡十二郷の地を加賜。廣綱二男阿曾沼次郎朝綱に閉伊郡十二郷を譲り、其次男阿曾沼又次郎廣親閉伊郡に下り、護摩堂城に住居。以来遠野氏を称し、五代孫阿曾沼下野太郎朝兼南朝方北畠顕家卿の従軍たり。其男下総守綱朝足利将軍に降り、其後應永の頃閉伊一揆起り、南部守行公に降和旗下となり、永享の頃一揆を鎮征し、七代孫遠野下野守廣影横田城に移る。其男遠野刑部少輔廣郷、始孫次郎、天正三年三月卒。其男孫三郎廣長といふ。天正七年織田信長公に使者を以鷹を献じ、和賀郡主多田氏とは深く和親なしける。十八年秀吉公に参礼して本領安堵。依台命南部家の附庸たり。南部家には和賀と和交ある事不快に思はれける故遠野を襲ふ念あり。其一族に厚く慈愛を行はれける。慶長五年乱起り、神君の依命利直公並孫三郎廣長、最上の加勢として出陣の処、和賀一揆起り利直公帰陣。孫三郎廣長は跡に残り最上惣引上げの節帰国せり。然る処、留主中一族鱒沢左馬助廣敦・上野右近廣則、臣下には平清水駿河師任・駒木豊前廣常、叛逆を企て南部に内應を約し、主家孫三郎を境目に防戦して領内へ入ざれば、廣長一先舅家たる気仙住人世田米修理の所に落行寄寓して度々兵を起し、逆臣等と争戦し利あらず、伊達政宗に加勢願はれしかば、篠木丹波守(『阿曾沼興廃記』笹木に作る)・横田主計助・著水丹後・世田米修理・濱田喜六等出張、慶長六年平田に於て大に合戦し、逆臣鱒沢左馬助廣勝を討取、猶軍勢達(ママ)を張る処、南部加勢来り。是と接戦利を失ひ伊達方濱田喜六、一族阿曾沼又次郎秀幹・西風舘孫四郎、臣下畠中藤七・金沢臼太郎等討死。其後不競して政宗の臣下となり、其男阿曾沼権十郎廣房重といふ一族もの(以下欠) 阿曾沼四郎廣縄 廣郷二男 和賀一揆加勢 阿曾沼主計廣重 阿曾沼民部少輔秀範 阿曾沼民部少輔秀範に(ママ) 阿曾沼常陸入道了哲 赤羽城阿部氏唱 阿曾沼又五郎 民部二男 附馬牛中務入道玄浄 附馬牛村火渡城 慶長五年逆臣等の争戦不利自城篭 屡合戦不克 城を焼義死 附馬牛内蔵助 仕利直公三百石 山口新助改 玄浄男 山口金右衛門 内蔵助子 西風舘大学廣敏 西風舘忠義人 逆臣等に説諭せしに不被用 家内応兵を起利あら ず討死 大槌孫八郎廣紹 大槌城武勇 逆臣等と屡争戦 利あらず気仙に遁る。後利直公仕 五百石 故有て花巻城にて殺され没収 大槌久右衛門廣重 孫八郎弟 鵜住居村 仕利直公八十石 大槌久八郎 久右衛門(子 脱ヵ)浪人 菊池半太夫 菊池半左衛門武長 仕利直公 細越与三兵衛敏廣 細越与三郎敏継 敏廣子浪人 細越長十郎備材 敏廣二男 仕利直公 菊池治部助時成 畠中五郎八 本名菊池 畠中藤七 平原備後吉武 本名菊池 平原助左衛門吉成 吉武子 仕利直公三十五石 菊池与十郎 内城四郎左衛門吉昭 本名菊池 内城治兵衛吉輝 四郎左衛門子 仕利直公五十石 内城治兵衛吉正 吉輝子 十五駄二人扶持 宮杜主水祐武 本名菊池 文禄三年仕信利公五百石没収 鬼柳十郎兵衛祐光 宮杜主水男 浪人 鬼柳住後五十石 宇夫方掃部 宇夫方八郎右衛門 宇夫方多兵衛 十二ケ村弾正 十二ケ村帯力益種 平倉長門守盛清 平倉平兵衛 平清水刑部入道禅門 旧臣 男駿河師任ハ鱒沢に一味叛逆を企、(註・以下文意不明) 禅門子を放論更に不義死 平清水出雲 禅門子 父と同く忠義人 浪人 新谷新右衛門 出雲子 浪人 菊池帯刀 新右衛門子 新谷庄作 出雲二男 仕利直公 新谷六兵衛 出雲三男 仕利直公 新谷六右衛門 六兵衛子 熊谷安右衛門 奥附忠義人 小友刑部 小友喜左衛門 仕利直公 松崎監物 忠義人 大沢寺浄玄房 白岩左衛門 興光寺靭負 忠義人 浅沼忠次郎 仕利直公 浅沼藤次郎 仕利直公 金沢臼太郎 平田討死 浅沼清左衛門 仕利直公 栃内勾当慶都 江刺支族 天正十八年江刺没落の時遠野に来れて潜居し廣郷憐み 扶持す 栃内小左衛門廣重 慶都子 仕利直公百石 栃内善兵衛 和賀一揆加 栃内善右衛門 高屋左近則政 江刺臣 天正十八年来り文禄三年卒 高屋四郎左衛門恒延 左近子 仕利直公五十石 高屋三弥恒宣 恒延(子ヵ) 高屋才六則之 左近弟 仕利直公 高屋八右衛門恒方 才六弟 高屋才四郎則房 八右衛門弟 下川原玄蕃恒忠 柏山旧臣 天正十八年来 仕政直君 下川原利左衛門恒長 玄蕃子 及川民蔵恒明 玄蕃子 月舘右京 九戸残党 新田平作 九戸残党 遠野逆臣徒党人物 鱒沢左馬助廣勝 廣影弟より三代 一族 叛主家廣長張本人 主君追出し度に合戦 利直公の加勢得て勝 慶長六年於平田討死 鱒沢忠右衛門廣光 左馬助廣勝男 仕利直公二千石。左馬助改名 驕奢放蕩 利直 公糺明有之由承り出奔。追手懸り自害し断絶 鱒沢千代松 忠右衛門子 上野右近に殺さる 鱒沢修理亮廣純 左馬助長男 夭卒 鱒沢造酒允村廣 左馬助弟 天正末死 上野右近廣則 一族丹波守廣吉男なり。廣長の家老 鱒沢廣勝一味叛逆。主君を 追出、仕利直公二千石 遠野城代 上野九右衛門廣高 右近嗣実弟 元和七年卒 上野久兵衛廣易 九右衛門子 寛永三年京死 没収 上野角右衛門弘房 久兵衛子 御徒被召出 平清水駿河守師任 旧臣刑部入道 鱒沢一味叛逆 主君を追出し仕利直公千石 慶長 十九年江戸勤番 北十左衛門の故にて没収 切腹 駒木豊前廣道 一味 仕利直公五百石 駒木隼人広三 豊前子 三百五十石 駒木六兵衛廣安 豊前弟 本宿老之丞家久 気仙郡鈴木氏分流 仕遠野本宿村給り改本宿 慶長六年仕利直公 八百石 閉伊郡惣司 本宿因幡家重 家久男 百五十石 本宿弥次右衛門家治 因幡男 八十石 本宿半之丞家盈 因幡二男 平倉新兵衛盛任 一味気仙討死 平倉刑部 始新助 平倉新八 末崎式部清茂 末崎清右衛門 大沢与左衛門秀久 板択平蔵 板択金三郎 大原新左衛門 奥南落穂集改題 |