大倉 務

初め沢田 務清正 200621

 明治初年に沢田 務清正は本姓大倉氏に改姓、同三年の士族明細帳には既に大倉 務があり、同八年の明細帳では更改めにより大倉清正で見える。同十一年の士族明細帳によれば、大清水小路十七番屋敷に居住。その跡を相続した誠之は、詩を山崎鯢山に学び、鉄蕉と号した。生前に詩文稿を失い現存するものは数篇に過ぎないが、鯢山先生碑、欠端円平碑、修文所学生詩文集などがある。また俳諧は春秋庵を号し蕪村を学んだ。芭蕉に帰る前に蕪村に帰れを主張していたのは、明治以前のことだあった。明治三十一年死去。享年八十五歳。その跡を嫡子清介が相続。その跡を継いだ当主清氏は盛岡市に在住する。歴代の墓地は盛岡市北山の教浄寺にある。沢田 務家参照
諸士リスト(う?お)

諸士リスト(さ)

盛岡藩士の家系メインリスト
盛岡藩士の家系メインリスト


一覧にもどる