小枝指 こえさし

小枝指辰六家 230204

明治元年の支配帳に小枝指辰六家がある。『参考諸家系図』は小枝指伝兵衛宗明の次男小枝指伝次郎旨休を祖と伝える。旨休は寛保元年に兄伊左衛門旨武より高五〇石を分知され、鹿角郡小枝指村に知行した。本丸御末取次などを務め、延享五年に死去した。その跡は金八旨長 (のち伊太夫、本家・伝兵衛宗明の四男、末期養子、下屋敷取次など、宝暦九年隠居)一幸右衛門(のち伝兵衛、本家・小枝指伊左衛門旨武の次男、角屋敷取次など、天明四年没)一直(のち清兵衛、大槻俊左衛門勝祐の弟、末期養子、花巻本蔵奉行など、文政五年隠居)一清作(のち権兵衛・権六)と継ぐ。安政四年五人加扶持で地方五〇石五人扶持(高八〇石)となり、文久二年に隠居して如酔と号した。その跡を養嗣子辰六宗明(のち清作)が相続。日詰西根山奉行・雫石山奉行を務めた。明治十一年の士族明細帳によれば仁王村(盛岡市)一番屋敷に居住。その跡を宗孝一四郎と相続、現当主の英夫は東京都在住。


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