江刺家 えさしか

江刺家蔵治家 200327

 明治元年の支配帳に江刺家蔵治家がある。『参考諸家系図』は六右衛門栄光の二男兵蔵忠栄を祖と伝える。忠栄は享保二年召出されて三戸主税政信に仕えて二人扶持を食した。同十四年妻を娶らずに死去。従って、伯父三戸給人江刺家松右衛門吉明の三男兵蔵栄純が養嗣子となりその家督を継いだ。のち表に召出され、立林奉行、植立奉行、郡山西根山奉行、盛岡東根山奉行、春木奉行を歴任し明和八年に死去した。その跡を同苗江刺家兵左衛門栄実の四男蔵治栄長が相続。慶応元年物価高騰を以て本高同様の手当米十八石を支給され、手当米共で三駄四人扶持(高三十石)の実収となった。次いで明治二年にその嫡子兵司栄が相続した。同十一年の士族明細帳によれば、栄は加賀野村九十九番屋敷に住居と見える。その跡を文蔵、憲条と相続。当主のコウ氏は愛知県に在住する。歴代の墓地は盛岡市名須川町の東顕寺にある。


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