一戸氏 いちのへ

一戸氏は南部家初代光行の長男、彦太郎行朝を祖とする。一戸郷を本拠にして糠部の南門を総攬した家と知られるが、代々一戸城にあった嫡流一戸氏は、天正九年に兵部大輔政連が実弟平舘信濃政包に殺害され断絶(「奥南旧指録」)。閉伊川筋に繁栄した一戸氏も、また天正十九年に九戸政実一揆に際して九戸党に属し、一戸彦次郎実富は頭人として三迫(宮城県)で誅され滅亡した。このため累代の世系や事跡を失い、分流各家との本末関係は極めて錯綜し判然としない。慶長六年の和賀岩崎陣の従軍者に一戸惣左衛門(二百石)が散見すものの、その事蹟は知らない。大族一戸氏は南北朝以降多くの分流を生じ、各地に頗る繁衍している。岩手郡の西根に荒木田、平舘、堀切、寄木の各氏があり、閉伊川筋に千徳、八木沢、津軽石、根井沢、江繋氏等が分布、九戸郡の東部に野田、種市、閉伊口(蛇口)の各氏、鹿角郡には長牛、谷内氏、津軽には中村、浅瀬石(浅石)氏、十二屋氏が知られ、三戸に米田氏があった。特にも宮古湊の千徳氏、野田湊の野田氏、久慈湊の閉伊口氏、種市湊の種市氏等から推して海運と水産に関心を寄せる一族であったのだろうか。分流各氏の内、荒木田氏、長牛氏、中村氏は、明治二年に何れも本姓に復して一戸氏に改めた。


 諸士リスト(あ?い)

盛岡藩士の家系メインリスト


一覧にもどる