荒木田 あらきだ

荒木田八十七家


明治元年支配帳に荒木田八十七家がある。『参考諸家系図』によれば、荒木田甚吉定勝の三男小三郎定房【系図参照】を祖と伝え、明治維新後に本姓一戸氏に改めた一戸家がある。定房は初め七戸隼人重信に七戸に召出され三駄二人扶持を食み、七戸台所奉行を勤めた。寛文五年重信が大宗を継いで藩主になるに及んで盛岡に召出され、二駄を加増され五駄二人扶持、高にして二十二石となった。その跡を小右衛門郡定、小右衛門定堅、小右衛門廻定と相続、廻定は五戸蔵奉行を勤め天明元年死去した。その子守右衛門が家督を相続、文化二年死去して、中野筑後家来太田和納の弟伊作が相続した。伊作は天保五年に死去し、その跡を八十七保得が相続した。保得は、維新後荒木田を本姓一戸に改め一戸保得と称した。保得の跡を定隆が相続、その跡を継いだ当主の一戸武氏は盛岡市に在住する。

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