荒木田 あらきだ

荒木田策馬家


 明治元年支配帳に荒木田策馬家がある。『参考諸家系図』によれば、荒木田権左衛門為長の二男佐仲為春【系図参照】を祖と伝えている 。為春は世子利視の側役を勤め、享保十一年初めて五十石を食んだ。同十三年二人加扶持、締めて六十二石となった。元文五年者頭となり、のち三戸通代官を勤めて寛延三年死去した。為春の家督を左仲が相続し享和二年死去した。その跡を子の左仲が相続し文化六年死去した。文化七年にその子武太夫が相続した。武太夫は嘉永五年に加増あって七十石となった。次いで安政四年の取戻令により一人扶持と一駄を取り戻され、新に二駄を支給されて六十六石となった。文久二年策馬定穀が家督を相続、花輪通代官を勤めた。その跡を定顕、定信、定弘と相続し、その跡を継いだ当主の正晴氏は千葉県に在住する。歴代の墓地は盛岡市大慈寺町の久昌寺にある。

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