赤前 あかまえ

赤前慎八郎家


明治元年支配帳に赤前慎八郎家がある。『参考諸家系図』によれば
赤前四郎右衛門吉政の四男五右衛門義秀を祖と伝える。義秀は宝永六年兄市郎左衛門寿吉より四十石の分地を受けて出仕し、正徳四年江戸にて死去。愛宕下の智相院に埋葬された。義秀の家督は実兄寿吉の四男宇右衛門政晟が相続した。政晟は大槌蔵奉行、福岡蔵奉行を勤め安永三年に隠居した。政晟の跡を宇右衛門が相続し寛政四年死去した。その跡を文治が相続して文政二年死去。文治の家督を門蔵が相続した。門蔵の家督は文久三年に慎八郎正機、次いで政虎が相続し、当主謙氏は茨城県に在住する。

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