盛岡藩郷村仮名付帳 もりおかはんごうそんかなづけちょう

藩庁文書写本 長嶺将在 写 



【地誌】

岩手県立図書館所蔵  新渡戸文庫 新 22-66

【史料の概要】

享和三年閏正月十五日、幕府に書上した郷村村仮名附帳で、題せんに「仮名付帳」とある。従って、 盛岡藩郷村仮名付帳は 岩手県立図書館所蔵目録上の書名である。 冒頭に「南部伯爵家所蔵本、公用下の十三摘録」、続いて「 享和三年閏正月十五日、 従公義御領分郡名村名御書上御用ニ付、別段役所相立、取調方被仰付候様仕度旨、懸り御役人共申出、伺之通申渡之」と記述。幕府へ提出するため担当役所を別に設立してとりまとめた記録であることを伝えている。
 本文は、全領内を通毎に大別し、各村を格付け して極上々から下々まで十等に識別。 本村・枝村 ・小名(何れも戸数を記載)のほか、村毎に平地・野中・山際・山間・山中・その他の表記で地勢、および、家続・往還筋・駅馬を明示している。また、代官所の所在、御境番所や古城館跡等をも書き上げている。

【史料批判・雑感】

「内史略」前22・23に収録されて「 御領分中本枝村付并位付」(上・中・下之巻)とする 異本がある。
「盛岡藩郷村仮名付帳」は全地名にルビを附けているが、「 御領分中本枝村付并位付」は難読および、誤読を回避する地名ヵに限り附されている。「盛岡藩郷村仮名付帳」は本村とするが、「 御領分中本枝村付并位付」は本村に作る。「盛岡藩郷村仮名付帳」は通名で区分するが、「 御領分中本枝村付并位付」は通名に郡名を添える。また、一部であり、都てに共通するものではないが、次のような記述相違等も、まま見受ける。
 事例 上飯岡村地内、舘についての表記
  「盛岡藩郷村仮名付帳」
    一、舘 古来より飯岡舘と斗申居候
  「御領分中本枝村付并位付」
    一、舘 古来より飯岡舘と唱、誰住居と云事を不知
「盛岡藩郷村仮名付帳」は末尾を「右は享和三年二月改置之也」とするが、「 御領分中本枝村付并位付」は
  都合四百二十五ヶ村
   家数三万千三百四十軒
  右享和三癸亥歳二月改置之
として閉めている。

藩政時代の領内戸数を知る上で、「封内郷村志」(宝暦四年調)と共に貴重な記録である。

【筆者】

写本を残した長嶺将在は、田口森陰と共に盛岡藩浮世絵の祖と称される長嶺九郎右衛門将続(号長斎)の子、通称市兵衛、幼名菊丸、歌翁と号した。嘉永六年十一月家督。漆戸茂喬に学び、慶応元年十二月作人館の助教(納戸格国学差向藩学助教)、同三年正月少助教となった。万葉集書入、古事記伝書入、歌集等がある。戸田一心流剣術師範で茶人であった益人将世は将在の子。

【刊本】

 「盛岡藩郷村仮名付帳」の刊本は管見にないが、「 御領分中本枝村付并位付」は『 岩手県史叢』 三 所収の「内史略」( 270頁より449頁まで)に納められている。 

平成22年9月15日追加



仮名附帳参照


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