22 諸士給人知行出物諸品並境書上 しょしきゅうにんちぎょうでものならびにさかいか

藩庁文書

【藩士の由緒・所務等】

盛岡市中央公民館所蔵、南部家旧蔵文書 一〇冊    (盛中30・3一45)

【史料の概要】

、元文三年。諸士以下惣家臣の内、地方取の者に書上させたもの。家格・席次順に石高、氏名、知行所別石高並びに課税形態、所務明細、隣接知行地頭名、知行所産物とその産物が百姓使用か流通に乗るのかの別、町場流通産物等を記録したもの。三百石高並びに二百石高諸士の一部が欠落。書上の提出先は御側御用人所と知られている。

【史料批判・雑感】

諸家の中には控帳を伝世している家がある。圓子嘉右衛門の末裔である北海道の圓子家にも伝存する。

圓子家の記録は提出日を三月十七日としているが、盛岡市中央公民館所蔵の藩の記録は同月二十八日。三月十七日は内届の日時、役所側と文言調整などによる、時間的流れが読み取ることが出来る。
実はそれだけではない。
藩の記録の内、圓子嘉右衛門の知行所別集計高は、家禄惣高に対して記載漏れ箇所は不明ながら弐拾三石四斗六升八合少ない。一見、欠陥文書と指摘されてやむを得ない状態である。これら対して圓子家の記録に拠れば、当該高は兎内村分。但し、当該箇所に「地付百生無之候故、知行付高無之候」とあることが判明する。仮に、このような事例が他所にても確認さめるならば、単に記載洩れ、脱落と片付けられない、作成意図に拘る問題等が内在していることになる。
今後の研究課題としておきたい。

国税庁税務大学校租税資料室に異本「諸士知行境並産物書上」(盛岡市中央公民館に工藤がマイクロフイルム化して寄贈しており閲覧可能)があり、同書自体では欠落箇所も多いが、両書併用によって、ほぼ欠を補う事が出来る。



享保二十年領内産物之品蒙書上之台命
元文元年八月産物御書上
「御系譜」利視譜

諸士給人知行所産物境書上方 【雛形】
元文三年二月二日


一、高何千何百何拾何石                  何 某
一、内
何石分御切米
何石分御扶持方
何石分御金方
何百何拾石地方
何方御代官所之内何郡
一、何百何拾石                     何 村
米定役金か、所務仕候とか、又ハ金目か、銭定か、毎年検見定とか并雑穀何々相出候とか書上可申候、但、所務穀敷、金銭之員数は不及書上事、
一、右村一圓知行仕候ハゝ、東ハ何村何山境、西ハ何村何川・何海境、南ハ何村何谷境、北ハ何村何道境と書上可申候、尤、此所何方往還ニて、馬継場所に有之候ハゝ其訳書上可申事、
附、御蔵・給所入交之知行所ハ其段書上、隣村境不及書上事、
一、山は御蔵入御山奉行支配、何木村とか水之目或はけ山とか、尤、山守ハ、地添故手前百姓相守申候とか書上可申事、
附、右山より何々之菓物、何々之菜物、何と申きの子類出申由書上可申事、
一、右所竹薮有之か、野形有之、或ハ谷地ニて、よし.くゞ・すけ・かや・いぐさ等出候ハゝ其品共書上可申事、附、右品々之内小役物に相出し候とか、又ハ百姓共渡世に商売仕候とか書上可申事、
一、川は何と申川、此所ニて何魚漁渡世に仕候得共、御代官扱ニて御運上ニ出申候故、入用之節は百姓共え申付、買求申候と書上可申事、
附、海漁右同断、尤、海草類、是又右に准書上可申事、
一、右所馬斗遣申候とか、牛斗遣申候とか、牛馬取交遣申候、馬ハ年により無疵之駒も出申候節ハ、御取馬に相成、又ハ持
馬ニ仕候とか書上可申事、
附、牛馬善悪共ニ出不申候ハゝ其段も書上可申事、
一、右所より何之器物仕出申候付、椀・飯物員数候か、百姓共相出申候、并節季物、何々之品何月百姓共より相 出来候ハゝ、其訳書上可申事、
附、百姓共渡世に、こかい・網・紬・真綿・麻糸・紙・布・畳之表等仕出申候、手前小役立之内に相出申候とか、又は入用之節斗買求候とか、其訳書上可申事、
一、右所たはこ・紫根・藍之類、百姓共渡世に作出申候とか、或ハ染出候とか、入用之節は買求申候とか書上可申事、右之外ニも、百姓共渡世に仕候産物之類有之候ハゝ其品書加差上可申候、縦令当時出不申候共、往古来稀ニも出候品も有之候ハゝ常に用不申諸品何成共書上可申候右之通、此度知行方之諸士・諸医・寺社領共に書上可申候旨被仰出候間、来月廿日限御中丸御用所え、印東弥一右衝門・八木橋茂右衛門・田鍍太郎右衛門宛所ニて御書上可被成候、但、書上之依品不承知之方ハ、右御用所え罷出承合、御書上可被成候、以上、
午二月
右之通、知行方之諸士・諸医・寺社領共ニ為書上候之様被仰出候付、右三人より夫々え申触之
「御家被仰出」

印東弥一右衝門・八木橋茂右衛門・田鍍太郎右衛門は  御側用人
「御番割遠近帳」




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【トピックス】

「近世の空間構造と支配」盛岡藩にみる地方知行制の世界
浪川健治編
 出版さる



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