圓子 まるこ |
圓子惣左衛門家 250412 |
明治元年支配帳に圓子惣左衛門家がある。『参考諸家系図』によれば九右衛門儀親の長男圓子惣右衛門方親を祖とする圓子家である。方親は重直の時に惣五郎で御歩行に召し出され、四駄二人扶持(高二十石)を知行した。正保二年鹿角松山目付を勤め,のち組付御免となり士分に列せられた。『雑書』によれば、寛文十年に滝沢関普請奉行で散見する外,同十二年には厨川代官として見える。元禄九年死去した。長男惣五郎方氏が元禄八年に部屋住みで父に先立ち死去したため,家督は方氏の子弁慶正親(惣五郎・三戸百助御相手、惣左衛門)が嫡孫承祖する。宝暦四年隠居。二男源太郎(源左衛門・川除普請奉行 、盛岡東根御山奉行、門御普請奉行、寛政五年隠居)が家督を相続。その跡を 惣左衛門(文政八年隠居)ー 惣五郎(大奥御用聞 安政三年隠居)ー 市之進親( 惣左衛門、七戸代官所下役)と相続して明治維新を迎えた。その子虎太郎親宜は明治三年に家督。明治十年士族明細帳には新庄村八十四番屋敷に住所を有していた。
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