里見 さとみ |
里見章蔵家 250414 |
明治元年支配帳に里見章蔵家がある。『参考諸家系図』によれば 里見太兵衛清重を祖とする里見家である。清重は本国を三河国(愛知県)、生国を安房国(干葉県)と伝え、初め世良太兵衛の名で松平越後守に仕えた。松平家没落の時浪人となり江戸に居住。天和三年南部重信の代に世子行信に料理方に召し出され、金方二十両(高百石)を禄した。のち盛岡に移住、元禄年間組付御免となり、士班に列し、御賄頭となった。のち二十両のうち四十二石を扶持方七人扶持に替え、十一両二歩砂五分七人扶持(高百石)となり、宝永年間里見氏に改姓した。 その跡は太左衛門清宗(幕臣本間九八郎の弟、享保八年没)ー 多兵衛清将(のち政右衛門、京都岡崎番・武具奉行) ー 多兵衛清長(のち政右衛門・宗蔵・多左衛門、天明四年隠居) ー 宗藏(大巻勇助秀詮次男、五戸通代官など、寛政九年没) ー 金吾(のち多兵衛、花輪通代官など) ー 章蔵朝義(のち一樹、天保十二年相続、大迫通代官など) ー 義順 ー 朝三 ー 礼子 ー 末三と続き、現当主正敦は岩手県花巻市に在住する。藩政時代の墓地は盛岡市の顧教寺にある。
|