![]() |
![]() |
奥南落穂集 史実であるか否かは御覧になる方に御任せする以外に術はないが、南部領の中世から近世を結ぶ接点となる史料であることに、何びとも異論はないと思う。 中世文書および記録類が散逸して伝存していないため、中世以来の伝承は皆無に近いものがあるのではなかろうか。写本は個人の家にまま見かけるが、原本の所在は不明。『南部史要』の引用参考書目の中に『奥南落穂集』二冊があり、花坂吉康家所蔵と知られるものの、原本であるかは不明。そのような状況の中で、未だ史料批判もされることなく活用されている記録ではあるが、両時代の接点として存在する本書の役割は大きなものがあると考える。本格的な史料批判に耐え得た記録『奥南落穂集』が一日も早く到来することを期待したい。少なくとも、大まかに延宝七年を遡らない時期、更に記載されている人名から推して元禄十五六年前後の成立と考えている。 二冊 【盛岡藩の記録類】奥南落穂集改題より 一、津軽之事 一、津軽右京大夫為信 一、志和家之事 一、九戸左近将監政実 一、稗貫家之事 一、和賀家之事 一、遠野家之事 一、閉伊郡之事 一、岩手郡之事 一、鹿角郡之事 一、雫石戸沢家住居之事 一、浄法寺家之事 一、羽州仙北小野寺家之事 一、本堂伊勢守親通之事 一、秋田城之助之事 一、江刺兵庫頭重恒之事 一、柏山伊勢守明助之事 一、葛西正兵衛晴勝之事 一、大崎左衛門督義隆之事 いずれにしても南部家史観に彩られている記録であることに留意が必要である。 なお、附言するならば、本文中に【馬笑曰】とする菅馬笑の補記があり、また「文化年間」等の記述も散見する。精査すれば他にも何か点在している可能性は想定される。従って現時点では参考資料とするに留め、原本の状態は未詳としておく。 工藤利悦 |