寛延四年(一七五一)盛岡藩士清水秋全筆。江戸日本橋から盛岡中の橋に至る奥州街道筋を描いた絵図。乾坤二巻。建築物のほか、名所・旧跡・名物・名産・土地・風景・山川・草木・居城・邑里・神社・仏閣に至る注記がある。秋全は通称右衛門七。六駄二人扶持の下士で城中や諸蔵の御番であったが、寛延年中、藩主南部利視の御側御用となり、参勤交代の供で数度盛岡?江戸間を往復し(「御番割遠近帳」盛岡市中央公民館蔵)、その見聞を元に書上げたもの。盛岡市中央公民館蔵。

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