申 三月三日御沙汰書写
        上巳御祝儀として御連歌」 申の年=安政七年・
        万延元年の出来事を書き写したので、上巳=三月
        三日の節句のお祝いとして連歌 
  時は今雪は降るとも弥生月
    散るは火花の桜田の外
  人心やけ野で雉子の水戸(身と)なりて
    けんもほろろに引く赤備
  孔明(諸葛孔明)は饅頭を角を思い付き
    驚きに秋の風も出し抜け
  早馬の足より早く噂する
    名は手廻りの手とらぬ者 
  甲斐もなく立股引きも白襦袢
    片身にかほる国の橘 
  筒井づつ桁も朽ちぬ五月雨
    因果の総身切りてはてなん 
  面白し愛宕の山を見渡せば
    大小立派忠天狗組 
  右一順して入滅
 一 今月掃部頭登城首なし
 右の通り変中別条これなし

●次は何と読むか、クイズのようなものである。まずは読んでみよう。


 イ =親玉に目なし(目が欠けている)
 ロ =大老に人なし(一に人を入れると大になる)
 ハ =老中に芯棒なし(「中」字の芯棒が欠けて
    いる)
 ニ =評議に口なし(「議」字のゴンベンの口がな
    い)
 ホ =番士に士なし(士を入れると番になる)
 へ 頭部掃伊井=(頭部は除きいい。掃=除)

   

「ないもの尽くし」


上巳大雪めったにない    桜田騒動とほうもない
どうやら掃部の首がない   是ではまことに仕方がない
お駕籠あってもかきてがない 上杉辻番いくじがない
主人なくては申し訳ない   脇坂取次ぎしてがない
細川お預けたまらない    咄はすれども見たものない
桜が咲いても見てがない   茶屋小屋芝居は行きてがない
唐人咄はまってない     讃岐のさわぎは知りてがない
玄朴此の節呼びてがない   水戸の宝蔵宝がない
一躰隠居は人でない     薩摩の助太刀とほうもない
老中増せどもみっともない  夜分はさっぱり通りがない
町人金持ち気が気でない   泥棒見ては縄をない
大名登城きり出歩かない   用心するうちは事がない
全躰役人腹がない      是では世の中納まらない
それでもまずまず軍がない  どうだかわたし請合わない
都合二十八ない

 井伊工夫雛の祭りが血祭りか
    関に見ゆるは桜田のゆき
 四天五壱天五は
    とうばかり(?)

   

「太功記十段目」


残るつぼみの花ひとつ       立花の芳野
思案なげ首しほるるばかり     同 家中
此の身の願い叶うたれば      沙汰の通り御捌願う
残らず聞きて居りました      最寄屋敷窓の内
思いと(ど)まって給われと    隠居家老悪意見
時の延る程不覚の元        日比谷御門御○寄
哀れはここに吹きおくる      打ち合い太刀音
行方知らず成りにけり       虎の御門方へ逃げた士
ただ一突きと気は張り弓      佐野竹之助
ぐっと突っ込む手練の鑓先     有村次左衛門
ただぼう然たるばかりなり     御駕籠脇
栄花正しき我家を         立つ立たぬ
たとへかたなき人非人       悪隠居
おいさめ申したその時に      御油断を悔やむ
知らぬこととは知りながら     上巳の登城
無益の舌根動かすな        思い思いの評判
数ヶ所の手疵に血         斎藤監物
いうも苦しきだんまつま      日下部三郎右衛門
狼狽騒ぐを追い立て追い立て    狼藉もの
やァ言う甲斐なき味(方)のやつばら 駕中の気くばり
いつ楽しみの隙ものふ      小石川
末世記録に残しくれん       今度の大変

  (「太閤記」は秀吉の一代を扱った伝記の総称で数種類ある。史
  料的価値の比較的高いのは、小瀬甫庵著「甫庵太閤記」二十二
  巻、川角三郎右衛門著「川角太閤記」五巻がある。他に「絵本
  太閤記」、「太閤真顕記」などがあり、ここに出てくる「絵本太
  功記」はこの二冊に依拠している部分が多い。

  この「絵本太功記」は、明智光秀が本能寺に織田信長を討った
  後、羽柴秀吉が光秀を討つまで=六月一日から同十三日まで=
  の十三日間を一日一段にまとめた人形浄瑠璃。作者は近松柳、
  近松湖水軒、近松千葉軒、三人の合作で寛政十一年《一七九
  九》大坂の豊竹座初演、後に歌舞伎になっている。

   あらすじは、主君・尾田春長《織田信長》に辱められた《発 
   端の「安土の段」と六月朔日の段「二条の御所の段」にその
   間の事情が描かれている》武智光秀《明智光秀》が耐えられ
   なくなって謀反を決意し、本能寺に春長を襲って自害させ
   る。一方、高松城主・清水宗治と対峙していた真柴久吉《豊
   臣秀吉》は、これを知って宗治を切腹に追い込み、小梅川
   《小早川》と和睦を成立させて、急ぎ京に戻る。

   光秀の母・さつきは、わが子・光秀の謀反は大いなる不義と
   立腹する。光秀は切腹しようとするが、側近に諌められ、久
   吉を討つべく御所に向かう。母のさつきは尼ヶ崎に引きこも
   っているが、そこへ光秀の妻・操と子・十次郎、そして十次
   郎の許婚・初菊が訪れる。十次郎と初菊は祝言を挙げ、十次
   郎は出陣する。

   その時、ある僧が宿を求めて来ていたが、後から来た光秀
   は、これを久吉と見破り、障子越しに槍で突いた。だが、そ
   こにいたのは母のさつきであった。妻の操は泣きながら光秀
   を諌める。十次郎は瀕死の傷を負って帰ってくる。もはや戦
   況は絶望的である。母のさつきも、子の十次郎も死んで、動
   転している光秀の前に久吉が現れ、後日、天王山で雌雄を決
   しようと約束して去っていく。
  ここに出てくる太功記十段目とは「絵本太功記」十日目(十段
  目)「尼ヶ崎の段」のことである。そこ書かれている地の文や台
  詞を引き合いに出して、それらの詞を「桜田門外の変」に登場
  する人物に当て嵌めるという手のこんだ仕掛けがなされてい
  る。しかし、かわら版などではよく使う手法である。それにし
  ても江戸庶民の知的レベルは相当のものだったようだ).。

    

弮夷の段

(不明。「絵本太功記」の段にはない)
掃部の首ないといえども是をどろぼう
○ども、井伊の家立つといえども首を取られて大変なり

  井伊の首がないといっても、これを泥棒○井伊の家の(面目)
  がたつといっても、首を取られてたいへんだ 

    

五大力


水戸どの胸にいつまでもなま中まみえもの思い、たとえせかれて程ふるとても隠居時節の末を待なんとしょう、〈たづ井伊の首打取って、からだはとらぬ御大老、さはさりながら掃部智慮なきおんふぜい、やってみしょぞえわらをぞえ、おかしき首取り候。かしく

  水戸殿の胸にいつまでも-----? 

桜田御門の真っ先で刀なばかりでしてとけた、あんな弱い武士は見たことない、三十五万石ただしてた

  桜田御門の真っ先で---------? 

    

騒動ちょぼくれ


やれやれ皆さん此の度の騒動聞いてもくんねえ、三月三日に大雪降るとは前代未聞のことだよ、皆さん。大老職なる井伊さん登城のその行き懸け、桜田御門の外なる上杉なる辻番前にて、水府の浪人べらぼうに長え(長刀?)どうどう抜いたり鉄砲持ったり手鑓をさしたり鎧を着たり手甲あてたり、なんだかかんだ論にも及ばぬ。切られる奴らはめっぽうな馬鹿だっ。手疵を負うやらこわいも間抜けだ。大家の供には剣術なんどを心得おるやつひとりもない。小姓なんぞも四、五十人の侍おりながら切られるなんぞと論にも評にものらない奴らだ。槍は桜田、箱持ち上杉表門なんぞえ逃げ込みなんぞと云う事。寝たりおきたり逃げ行くなんぞと云う事、唐にもないぞえ。唐といったら異人のことだよ、交易なんぞで諸色が高いを、諸人の難儀もなんとも思わぬ水府隠居は切られて死ぬがやっぱりましだよ。侍あわくい、唐人米くい、町人わりくえ、水府の隠居の首でも抜いて鳶にくわせて家来者なぞ一集まりに殺して異人のえじきにするのが増しだよ。水府御家も潰してしまうがよっぽどいいのさ。老中の中にも龍野、磐城はよっぽどいいのさ。はなせ(御人てに)
和泉のじいさんこわくてならなけりゃ御役を、願って引っ込めてしまうがよっぽど増しだよ、村上先生しっかり頼むぞ。御役に立たない人たち若年寄も、遠藤のじいさん我侭者だよ、どうしたことだよ半知にしるのか隠居をさせるか二つに一つを、どっちにもなさいよ。外の御方は無役壱人、どうやらこうやら勤めて参るぞ。町助けは公儀の御慈悲だ。諸色の値下げ、おか場所こしらえ、水戸を潰して異人を殺して下に安堵をさせるがよかろう。下の繁盛、御上の御ために御役に立つ人よいようにさばいて下され。やれ、やれ、やれ
  水府浪人井伊心持ちくびきり
  吉原《良き腹》と悪しき腹とを取り交えて
  胸苦しさにはき出しにけり

   

(騒動ちょぼくれ)


 やれやれ皆さん、此度の騒動、聞いてもくんねえ。三月三日に大雪降るとは前代未聞のことだよ、皆さん。大老職の井伊さんが登城の行きがけに、桜田門外の上杉様の辻番所の前で、水戸の浪人べら棒にも堂々と刀を抜いたり、鉄砲を持ったり、槍をさしたり、手甲を当てたり、なんだかかんだか話にもならぬ。そんな奴らに斬られる奴らはめっぽうな馬鹿だよ。手傷を負うやら、怖いも間抜けだ。大家の供には剣術なんかの心得がある奴は一人もいない。小姓なんかも四、五十人の侍いながら斬られるなんて論にも評にもならない奴らだ。槍は桜田門の方へ、箱持ちは上杉さまの表門の方へ逃げ込むなんていう事は、唐《から=がら》にもないぞえ。唐といえば異人のことだ。交易なんかで物価が高くなって人々が難儀しているのをちっとも思わない水戸の隠居《斉昭》は斬られて死ぬのが、やっぱり増しだよ。侍はあわをくい《粟を食い》、唐人は米を食い、町人はわりを食う。水戸の隠居の首でも引っこ抜いて鳶に食わせ、家来どもはひと集めにして殺して異人の餌食にするのが増しだよ。水戸家も潰してしまうのがよっぽどいいのさ。老中の中にも龍野《播磨龍野五万一千石、脇坂中務大輔安宅》、磐城《陸奥磐城平五万石、安藤対馬守信正》、はよっぽどいいのさ。はなせ(?)
 和泉のじいさん《三河西尾六万石、松平和和泉守乗全》怖くてならなけりゃお役を、願って引っ込んでしまうがよっぽど増しだよ。村上先生しっかり頼むぞ。お役に立たない人たち、若年寄も遠藤のじいさん我侭者だよ、どうした事だよ。生半可に知るのか、隠居をさせるか、二つに一つをどっちにもしなさいよ。外のお方は無役一人、どうやらこうやら勤めて参る。町助けは幕府のご慈悲だ、物価の値下げ、岡場所こしらえ、水戸を潰して異人を殺して下々に安堵を与えるのがよいだろう。下々の繁盛、御上のおためにお役に立つ人よいように裁いてくだされ。やれ、やれ、やれ 

    

吉原言葉


よくきなました          会津公
びっくりしいした         遠藤辻番
どうしなんした          一ッ橋の狸気
ないてばっかりおりいした     彦根の奥方
とんだめにあいなんした      柳澤
うそらしうをす          彦根御届
あんまりひどうござんす      松平大隅守
酔いなましたかえ         日比谷御門番
いやだねえ            諸家の御預かり
あぶのうざます          小石川
しっかりしなんし         臨時評定
とぼけなますなよ         郷士の駆け込み
ちっときりかをいいなましよ    内藤紀伊
たいそうふさいでいいなますねえ  松平和泉
おせきなんしたねえ        大隅守家老切腹
いづ(つ)いきなんす       水戸上使
いっそころしておくんなんしょ   水戸隠居
きっとざます           同家のめつぼう
がっかりいたしんした       親玉
よくうらにきなました       久世大和

● 次は、漢字をタテ、ヨコにそれぞれ三字ずつ並べ、対角線あるいは十字形に読ませて、「桜田門外の変」に関する何らかの意味を引き出すクイズのようなものである。
まずは読んでみよう。




生 雪 今
     今、地は乱れ
          生地(血)が流れ
痛 地 ▢     雪は地(血)に染まり
          ▢(頭)の地(血)は痛し
乱 染 流


家 首 金     金が(賀)入る
          家が危ない
労 賀 気     首が無い
          気が疲(労)れる
入 無 危


市 家 老     老中困る
          市中騒ぐ
絶 中 道     道中(人通り)絶え
          家中苦しむ
困 苦 騒

   
奉 他 家     家の行き来少なく
          奉行は騒々しく
益 行 乱     乱行益少なく
          他行止む
少 止 閙

        
疵 悪 諸     諸人笑い
          疵人夥しく
多 人 死     悪人出で
          死人多し
笑 出 夥


儒 医 智     智者は無く
          儒者は企て
透 者 芸     医者は喜び
          芸者は透く(暇になる)
無 喜 企


陳 庄 刀     刀屋は儲け
          陳屋は建ち
狭 屋 馬     庄屋は走る
          馬屋は狭い
儲 走 建


籠 雪 徒     徒者(徒歩の者)は逃げ
          駕籠は損ない
泣 者 妾     雪は降る
          妾は泣く
逃 降 損


本 風 悪     悪説(ウソ)多く
          本説(真実)は少なし
計 説 虚     風説は区す(かくす)
          虚説(ウソ)計り(ばかり)
多 区 少


公 軍 猶     猶、用心
          公用騒々しく
調 用 葬     軍用専らに
          葬儀用に調える
心 専 閙


一 後 諸     諸家は固まり
          一家集まり
驚 家 未     後家多く
          未だ家驚かず
固 多 集


威 大 軍     軍勢揃う
          威勢無し
頼 勢 加     大勢は恙い(憂い)
          加勢頼み
揃 恙 無


疵 番 唐     唐人(外国人)は静か
          疵人は預かり
歓 人 職     番人は出ていく
          職人は歓ぶ
静 出 預


家 表 裏     裏門厳しく
          家門(紋)は橘
既 門 掃     表門前
          既に門を掃く
厳 前 橘


仕 奥 供     供方は弱く
          仕方無し
少 方 味     奥方は歎き
          味方は少なし
弱 歎 無


噺 花 今     今は悦び
          噺は止む
騒 者 鬢     花は咲き
          鬢(ひげ)は騒ぐ
悦 咲 止


下 臣 上     上に仁無く
          下に礼無し
首 無 主     臣に忠無く
          主に首無し
仁 忠 礼


熟 閑 住     住居代わり
          熟居を恨む
士 居 隠     閑居を企て
          隠れ居る士
代 企 恨


長 忠 水     水臣出でて
          長臣を討つ
逃 臣 皆     忠臣無く
          皆、臣逃げる
出 無 討


軍 賦 時     時、未だ来たらず
          軍、未だ発せず
止 未 弊     賦、未だ覚えず
          弊、未だ止まず
来 覚 発


今 夷 世     世は盛衰し
          今、盛りは過ぎ
騒 盛 人     人、盛んに騒ぐ
          夷は盛んなり
衰 也 過




 いいかも《井伊掃部》と雪のうちにて首をしめ 
 何事も井伊か悪いかしらねどもだまし討ちとは水戸もない《みっともない》武士 

   

「余家老尽くし(よかろう尽くし)」


桜田騒動見たならよかろう  これぞ天罪手本によかろう
上巳の大雪敵にはよかろう  先供騒がせ手筈がよかろう
一発鉄砲合図によかろう   やたらにお駕籠を突かずとよかろう
必死の切っ先勢いよかろう  引き出し土足にかけずとよかろう
可愛やお首は置いたらよかろう 四条河原にやらずとよかろう
鈴がいやならこつでもよかろう  兼て用心あってもよかろう
供には武士を連れたがよかろう  一同馬前に討死よかろう
何ぞや日比谷に逃げずとよかろう 奥方ご自害これまたよかろう
おめかけ火急にさげずとよかろう 公儀のお諭し定めてよかろう
腰抜け大勢寄らずとよかろう  お米をやたらに買わずとよかろう
小田原相談よしたらよかろう ぐずぐずしながら出ないがよかろう 
これより剣術磨くがよかろう   剣難ご相は出家がよかろう
出家になったら土下座がよかろう 全体お役にならぬがよかろう
なったら我意を張らぬがよかろう 諸人の意見も聞いたらよかろう
家老の誡めを入れたらよかろう  余り長生きしないがよかろう
丁度ここらで死んだらよかろう  やられた人々小気味がよかろう
知勇の役人あったらよかろう   越の隠居を出したらよかろう
土田もまたまた再勤よかろう   板倉老中尤もよかろう
町のお奉行佐々木がよかろう   讃岐の用心けんこがよかろう
しゅうとと内談しないがよかろう 元より本家に内意がよかろう
親玉お年を召したらよかろう   今から女に乗らずとよかろう
それより馬術の稽古よかろう   見附見附なくてもよかろう
あるなら○人置かぬがよかろう  異人の横行止めたらよかろう
大○うとんとやらずとよかろう  機やの歎願聞いたらよかろう
冥加のお沙汰は止めたらよかろう 市中の不景気見せたらよかろう
相模の元方どふしたらよかろう  開帳途中で駆け落ちよかろう
お米はどんどん入れたらよかろう 世間が静かになったらよかろう
天気になったら花見がよかろう  おごりは浅草川枡よかろう
二階が込むなら下でもよかろう  鴨の無い時あひるでよかろう
新酒少々割ってもよかろう    江戸がよければ田舎もよかろう
上がよければしたまでよかろう  亭主がよければ女房もよかろう
悪いあがりでこれからよかろう  天下の万民よかろう よかろう

 首は飛び桜はさわぐ世の中に 何とて町は静かなるらん 
(隠居〉喜べ家来はお役に立ったわさヤイ。
   米が三斗、公儀の噂は八斗、掃部の食うのが一杯、一杯 

   

「水の隠居(水戸斉昭)おいらん嘉門(掃部)と問答」


〈隠居〉如何に、おいらん。汝に日本の魂あるや?
〈おいらん〉馬鹿ァ言いなんし。そんな金玉があれば、こんな勤めは
   しはせんよ。
〈隠居〉如何に、おいらん。汝は五ヶ国の人とやたらに夫婦約束し
   て、末はどうするのだえ?
〈おいらん〉アィ、あんあごろつき者を客にする気はありませんが、
   あれは伊勢さん(阿部伊勢守正弘)、備中さん(堀田備中守正
   睦)が呼びなんしたから、それで参りんすよ。
〈隠居〉だまれ、おいらん。たとえ伊勢、備中が呼んだとて、それは
  一通りのあしらえ、汝は別段の御職になりて夫婦約束の取り交
  わしをしたではないか。
〈おいらん〉ヲャヲャ、大造(層)に腹立ちなんした。わちきは勤め
  の身だものを、たとえ五ヶ国はおろか、ためになるお客なら
  ば、まだいくらも取りんす、そんな甚助いわずと西山の床に入
  りなんしと、ぐいっと引き寄せ直に組み打ち、首ッ切りほれた
  よ。

その時どやどや  雪どけだぶだぶ  隠居にこにこ
小石川はらはら  浪人ぜひぜひ   老中びくびく
彦根ぐずぐず   噺はひそひそ   御城はしんしん

 抑々(そもそも)武士に見せたき事、万国にすぐれ槍八人の勢いちとう(ととう)をなして古今の意趣をなし、春の時候の三月の時、天俄(にわか)にかき曇り大雪しきりに降りしかば、味方敵をしとけ(め)んと小筒を駕籠にぞ打ち給う。その間にたちまち大勢となり、腕を切り、腹を突き、この間、隙間を伺ってより首を大事に持って行き、かようにはげしき戦にすごすご首を渡せしと君にささげて御意ぞんは、彼をまんまと打ちはたせし、うらみやたえせし近在諸国、どうどうとっと喜ぶうちへ納まる水戸こそ嬉しけれ。
           万延元年五月三日写取
           万延元年三月求之写(順序が逆)

 

あとがき 


 「桜田門外の変」といわれる一連の事件は、幕府や諸大名によって矮小化され「仇討ち」的なものに終わった感がある。良いか悪いかは別にして、尊皇攘夷という明確なポリシーをもって行動した襲撃者たちが、この事件によって、どんな運命をたどったかをみてみよう。(ビジュアル・ワイド 江戸時代館 小学館による)それによって、本稿に出てくる襲撃者像のイメージがふくらみ、明確になると思う。

金子孫次郎(五十七)郡奉行 有村雄介と京に上り、九日、四日市 
 に到着。襲撃の総帥役。襲撃不参加。三月十五日京都で捕縛。翌
 七月二十六日斬罪。
高橋多一郎(四十七)奥右筆頭取 子の庄左衛門と大坂へ行き、薩
 摩藩士の東上を待つ。襲撃不参加。事件後幕府に探知され、自刃
高橋庄左衛門(十九)床机廻 父とともに行動。襲撃不参加。父と 
 ともに自刃。高橋多一郎の長男。
関鉄之助(三十七)郡方 襲撃の総指揮者。鳥取、長州などへ潜
 行。翌年越後で捕縛。文久二年(一八六二)五月十一日斬罪。
斎藤監物(三十九)静神社神官 事件後龍野藩邸へ自訴し、「斬奸趣
 意書」を提出。三月八日傷死。
岡部三十郎(四十二)書院番士の子。襲撃には参加せず、見届役。
 事件後、京に上り潜行。翌年江戸で捕縛。斬罪。
杉山弥一郎(三十七)鉄砲師 杵築藩邸前から攻撃、負傷。肥後藩
 邸へ自訴。翌年七月二十六日斬罪。
黒澤忠三郎(三十一)大番組 杵築藩邸前から攻撃、負傷。龍野藩
 邸へ自訴。七月十二日死。大関和七郎の兄。
山口辰之助(二十九)目付 杵築藩邸前から攻撃、負傷。八代洲河
 岸で自刃。
蓮田市五郎(二十八)寺社方手代 杵築藩邸前から攻撃、負傷。龍
 野藩邸へ自訴。翌年七月二十六日斬罪。
大関和七郎(二十五)大番組 堀側から攻撃、負傷。肥後藩邸へ自
 訴。翌年七月二十六日斬罪。
森山繁之介(二十六)高橋多一郎属吏 堀側から攻撃、負傷。肥後
 藩邸へ自訴。翌年七月二十六日斬罪。
森五六郎(二十三)使番 正面から攻撃、負傷。肥後藩邸へ自訴。
 翌年七月二十六日斬罪。
佐野竹之介(二十一)小姓 堀側から攻撃、負傷。肥後藩邸へ自
 訴。即日傷死。
廣岡子之次郎(二十一)小普請組 堀側から攻撃、井伊の首を取
 る。辰の口番所で自刃。黒澤忠三郎と大関和七郎の甥。
鯉渕要人(五十一)諏訪神社神官 杵築藩邸前から攻撃、負傷。八
 代河岸で自刃。
稲田重蔵(四十七)農民・郡方元締 堀側から攻撃、井伊の駕籠を 
 刀で突く。現場で闘死。
廣木松之介(二十三)評定所物書雇 杵築藩邸前から攻撃。加賀に                            
 潜居。文久二年三月三日鎌倉で自刃。
海後嵯磯之介(三十三)三島神社神官 堀側から攻撃。水戸から越
 後などに潜行。明治三十六年(一九〇三)没。(七十六歳)
増子金八(三十八)藩士増子三太夫の弟 杵築藩邸前から攻撃。潜
 行。明治十四年病死。(五十九歳)
有村次左衛門(二十三)薩摩藩士 杵築藩邸まえから攻撃、井伊の
 首を取る。若年寄遠藤胤統の辻番所で自刃。有村雄助の弟。
有村雄助(二十八)薩摩藩士 金子孫次郎らと京に上る。襲撃不参
 加。四日市で薩摩藩士に捕縛。帰国後自刃。有村次左衛門の兄。


●この史料「水彦騒動記」は盛岡の近世文書研究所の工藤利悦主宰から提供されたものである。同研究所は南部藩(盛岡藩)の歴史研究がメインで、この史料は同藩とは直接関係はない。おそらく南部藩江戸詰めの武士、佐藤某がまとめ郷里に持ち帰ったものであろう。

 万延元年の南部藩身帯帳に、佐藤姓の者が三人いるが、現在のところ特定できないでいる。また、本稿では原文の一部を省略した。浅学非才の者にとってまだまだ研究の余地だらけで、ここにまとめたものは中間報告としてご容認願いたい。           
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