(解読)
                   水戸殿家来
                      高橋多一郎
                      関鉄之助
                      吉成恒次郎
                      林忠左衛門
                      廣岡子之四郎
                      森五六郎
                      濱田平助
右之者水戸表出奔仕候ニ付、他領江罷出候得者別而速々召捕候様可被致候事、
 申二月三日、対馬守殿御宅江家来呼出し、御書付を以被仰渡ル、
此節、水戸領内長岡駅江猶又多人数出張いたし居、不穏趣相聞、
中納言殿深く心配厳重ニ手配致候得共、万一御内府他領迄も罷出
法外之所業被致候哉も難斗、右様之仕儀ニ至候ハハ於公邊御召
捕引渡相成候様被致度旨水戸より被仰立候間、万一他領江罷出候
ハハ早々召捕候筈ニ候間、夫々手筈致置、右様之義至り候ハハ早速人数差出し召捕候様可被致候、尤多人数ニ無之一両人姿を変、間道ニ忍居候而罷出候者可有之候も難斗、左様之者共見掛り次第召捕候積り手配いたし置候様可被致候事、
                      松平肥後守
                      酒井左衛門尉
                      堀田備中守
                      土井大炊守
                      土屋采女正
                      牧野備後守
                      久世大和守
                      戸田綏之助
右者水戸殿家来共法外之所業ニ及候節、人数繰出し召捕方御達之分

三月三日朝五ツ時、桜田御門外井伊掃部頭殿登 城先ニおゐて及狼藉候者共名前書
                   水戸家来
                     ○黒澤忠三郎
                     △森五六郎
  ○印五人脇坂殿江           △杉山弥一郎
   願書差出す             △大関和七郎
                      森山繁之助
                     △佐野竹之助 
                      蓮田市之助
                      関鉄之助
                     ○斉藤監物
                     ○廣岡弥次郎
  △印細川家江六人            鯉渕要人
   欠込直々御預け            山口辰之助
                      廣木松之助
                      稲田市蔵
                      増子金八
                      海後崎之助
                     △高橋多一郎
                      森恒次郎
                     △林忠左衛門
                      濱田平助
       脇坂中務太輔殿宅ニ而死去  ○佐野式之助
                    薩州浪人
                      有村次左衛門
今朝登
城掛ケ、外桜田松平大隅守より上杉弾正大弼辻番所迄之間ニ而、狼藉者鉄砲打掛ケ凡弐拾人余り抜連駕を見懸ケ切込候、ニ付、供方之者共防戦致し狼藉者一人打留其余手疵深手等為負候、ニ付追々逃去申、拙者儀捕押方等指揮致し候処、怪我致し候ニ付一ト先帰宅致し候、尤供方即死手負之者別紙之通御座候、此段御届申達候、
   三月三日           井伊掃部頭
       覚
                   深手 日下部三郎右門
                   手負 片桐憧之助
                   同  河西忠左衛門
                   手疵 澤村軍六
                   同  桜井猪三郎
                   同  小河原秀之丞
                   即死 柏原徳之丞
                   同  加藤九郎吉
                   同  永田太郎兵衛
                   手負 草川鍬三郎
                   同  松井貞之介
                   同  萩原吉次郎
                   同  越名源四郎
                   手疵 元持甚之丞
                   同  渡邊泰吉
                   同  藤田忠蔵
                   同  水谷求馬
                   同  岩崎徳之進
                    草履取
                   落手 幸田太助
                    陸尺
                   落手   政右衛門
                        勝五郎
        〆弐拾壱人
右之通ニ御座候
  三月三日
   御勘定奉行江

今朝外桜田ニおゐて水戸殿家来及乱防候ニ付、水戸殿三屋敷怪敷躰之者出入有無等何連も組支配之者昼夜相廻、厳重ニ心得候様可被致候、尤水戸街道江多人数罷出候趣ニ可有之候間、若出府致し候様ニ候ハハ、其段月番老中宅江被申越、仕儀次第召捕候様可被致候事、右之通町奉行、御目付江相達候間得其意関東取締出役之者江申渡出府模様ニ候ハハ、早々月番老中江申越、仕儀次第召捕候様可被致候事、
 申
  三月三日         丹波守殿御書渡
                      松平肥後守
                      久世大和守
                      土屋采女正
                      土井大炊頭
                      牧野越中守
                      戸田綏之助


今朝掃部頭登 城掛ケ水戸殿家来共及乱防候義も有之候ニ付
兼而相達置候、捕押方等之義猶此上厳重手筈致し置候様可被致候、
  三月三日        右同断
                      松平肥後守
                      酒井左衛門尉
                      大久保準之助
                      松平越中守
今朝掃部頭登 城掛ケ水戸殿家来共及乱防候ニ付而者此上水戸表より若多人数出府致し候儀も有之候ハハ時宜ニ寄可及沙汰候間手筈可
被申付置候、


  同日細川家の口上書

御国元二月十八日出立、一両人宛所々ニ而止宿、今般同意者拾七人
愛岩(愛宕)山ニ寄合、桜田御門外辻番所より松平大隅守様御門外ニ而御駕左右江仕掛ケ申候処、一旦者多人数立塞候ニ付、及争論ニも御駕江両所より四人斗駆付(越利留?)御引出し御首討取声を揚銘々散々討取申候 右十七人之内、四人辰之口御屋敷様江表御門より入込案内を乞候間御取次立会申候処、水戸様家来ニ而只今井伊掃部頭様を討取候ニ付、此段御役人方江罷出御答中ニ御座候処、何連も不案内ニ而此方様江罷出公儀御裁許相待覚悟ニ付、夫迄之処御養へ被下候様委細之儀者御重役様之内懸御目御咄可申旨申聞候間、小姓頭相合表下之間ニ而右応対いたし御取次より此儀応対直々吉田平之助御役人方江こ出中澤八郎御使者として水戸殿江罷出候事、

                      松平伯耆守
               三奉行    池田播磨守
                      山口丹波守
                  立会
               大目付    久貝因幡守
               御目付    駒井山城守
                    御勘定留役
                      高木源六郎
                      高田彦太郎
水戸殿家来狼藉一件吟味御用掛り被 仰付
    有村次左衛門辞世
  岩か祢も砕さらめや武士の
     国のためとて思ひ切太刀

  君が多免身を尽してぞ丈夫能
     名楚阿希登る時をこそまて
右髪之毛ニ包有之

    佐野竹之助着用白襦袢ニ認之
  敷島の錦の御旗持ささ希
  誠忠皇御軍さき可希ぞせん
  桜田の花と屍をさら春とも
     などかたゆまん日本魂
                      佐野藤原光月

  掃部頭殿騎馬徒士先供和田九郎吉
  之首級相携、辰之口小笠原左京太夫 松平修理太夫家来
  遠藤但馬守殿持辻番所脇御堀ニ而     有村次左衛門
  右首級洗ひ辻番所江罷越切腹、

                   水戸殿家来
  掃部頭乗物突通し            佐野竹之助
  駕脇士徒士等切伏、有村         黒澤忠三郎
  次左衛門同道辰之口迄          蓮田市五郎
  罷越於往来切腹             斉藤監物
                   同家来
                      山口辰之助
  掃部頭殿駕脇士大勢           森五六郎
  切伏セ細川越中守江訴          杉山弥一郎
  出ル                  鯉川要人
                      稲田市蔵
                      関鉄之助
                      海後崎之助

 有村次左衛門以下性名書、中務太輔殿江自訴之者持参、存命之者 
 者細川越中守家来江御預被 仰付候、

三月三日朝五ツ時、井伊掃部頭殿登 城先外桜田松平大隅守殿屋敷
前通り上杉弾正大弼殿辻番所迄之間ニ而赤桐油を着し綿頭巾様なるもの冠り先箱徒士之間横ニ突切候故徒士之者差押引戻し可申旨彼是互及争論候折柄、忽赤桐油頭巾脱捨候得者、着込之上ニ白三○黒羽二重を着し白布ニ而鉢巻同布ニ而十字後取、帯釼引抜直ニ壱両人切倒候故駕之者追々懸付火花を散し及争戦候得共、刀量早業不○働故士方以上之者一同ニ切掛リ候得者猶又側ニ蓑笠ニ姿を変し候者蓑笠脱捨帯刀抜刀シ大勢之中江割而入さんざんニ切まくり候、白桐油を着し無釼之拿をさし足駄掛ケ之者駕脇人少を付込懐中ニ仕掛ケ置鉄砲壱発打掛ケるを相図と相見へ、松平大隅守殿長屋下弐丁堀端ニ彳居リ中間躰又者通懸と相見懸ケ候者共、凡弐拾人斗桐油蓑笠等脱捨着込ニ身を堅メ候者掃部頭殿乗物四方巻囲や古へを掛ケ両手突ニつらぬき御首を討落し大音ニ勝時阿希ちりちりニ引取候、尤駕脇之者共主君之危急一心ニ防身命投打切結候得共狼藉者の猛勢ニ切まくられ素もと何等無心不意を被打殊ニ者雨具を着し帯釼江者柄袋を懸ケ急変之事故狼狽苦悩之躰ニ而追々被切倒、中ニ者鞘之侭ニ而及争戦候者共も暫時之烈戦互数ヶ所手疵受而彦根方ニ者即死四人、手負拾五人、陸尺二人落手其余之者共者散乱ス、彼之狼藉者之方ニ而者首級を皮袋様なるものへ入何方可持行残者共凡弐拾三人程ニ而国賊掃門頭を天之代り誅罪致し申罵ながら桜田門外江可立入様子相見得候共同所御門〆切ニ相成候故引戻し弾正大弼殿長屋下優ニ通行、其内壱人弓手被切落候者、右手江携候太刀先江白髪交じリ之首つらぬき歓悦満面に顕連、其余の者共馬乗袴稽古着高股立ニ而、或者試合具足等ニ身拵し銘々○ニ相成、阿修羅有て着連たる如く猛々として日比谷御門を通り抜脇坂中務太輔殿細川越中守殿江都合九人自訴いたし、残る弐人者携居候首辰之口御堀ニ而荒飛遠藤但馬守殿辻番所江差置尤其節同時林大学頭屋敷内江も一級投込み猶弐人打連辰之口江
引戻し来ル処、数ヶ所之深手負ニ而歩行成兼る躰ニ相成候内互何哉
談合忽壱人切腹いたすとい遍とも深手之上数刻雪中ニ彳、惣身冷寒
手足働き不得自○とゝ免さし兼、連立来候男か以しやく致し其身も及自害然る処此之儀者同様深手負等ニ而仕損し苦痛の躰ニ而往来之者江武士者相見互故可以しやく揚々如虫声ニ而頻頼々と言と以へとも近辺人無之一通ニ往来之者通掛リ見請候得共唯ニ驚恐逃去候者ニ而多し、折柄立派成士通リ掛リ、忽首を打落し何方へ歟立去ル、其余一両人即死等も有之候由者未タ聢と難相分其外争戦中多人数抜連候者共者常州表江引取候儀ニも可有之由、満つた掃部頭殿方ニ而者散々ニ被切倒候上主君致命剰へ首級紛失ニ気宇ち致し候哉、跡押駆参り候者壱人も無之一件鎮リ候砌、大勢麻上下足袋はたし銘々鎗刀押取欠出し来ル、場所見分之上夫々堅メ其怪ケ敷事大かたなら須、登城之節被召連候駕脇士カ以上之内帰宅之上切腹致し候者多分有之、其外争戦之節逃去候者ハ夫々厳重ニ手当致し囲補理右之内江捕置由、最初桜田門外ニ而白刃血戦中者稀なる大雪烈風吹き廻し纔ニ寸前難弁程之次第いかなる天災歟と思王類る風之便に聞つる而己、

  きのふまで立派に咲し多ち花も
    者かなく散し雪の桜田
  時阿ら者い左ものみせん山桜
    祢者なつ者の眠り覚ましに
  毛路ともに表と思飛ひ外桜みとより
    外にきる人はなし
  亜墨利加を阿まりかもんておく故さ
    飛なまつりより血祭か出来

  雪月花の見立   当日雪が婦りかこ者うき外桜田の花

  掃部頭家来勝手より差出書付
掃部頭昨登 城之節於途中狼藉者御処、右之者共水戸殿并薩州殿之家来趣相聞申候ニ付、掃部頭ニも致手負程之儀ニ付昨今之御達も御座候得共、何分家来中之者共此侭ニ暫時も難罷有候、捕押ニ相成衆共仰渡しニ相成家来之者共子細柄相心得度旨一同懇願仕候間、何卒御憐察被成下願之通リ被仰付候様仕度此段奉願上候以上
                   井伊掃部頭家老
                      岡本半助
                   同道 相馬隼人
即日持出同夕左之書付添持帰宅江岡本半助呼出し

    覚
書面之趣引渡がたく筋候事宅江掃部頭家老呼可渡書付、此度掃部頭殿不慮之義有之候ニ付而者重臣始末ニ迄も致心配候由相聞候、尤之筋ニ者候得共万一動揺致候様之儀有之候而者以之外之事ニ付、諸事公辺御所置ニ任セ左様之儀無之様可被致候、厚思召も旨有之義ニ
付末々至迄一同致安心罷在候様家来呼出し相達候事

  松平大隅守家来
  紀伊守殿江御届書左之通り
唯今大隅守於門前何者共不知抜身ニ而何方之御供ニ而候哉中江切掛ケ候様、怪我人余程可有之哉窓下風聞も有之股引着用之旅人躰之者倒レ見へ怪我人等も其彼方之内連帰候哉相見へ不申、追而書面之御届可申上候得共、此段不取散(敢)申上候以上、
                   松平大隅守家来
  三月三日                奥津三右衛門

  上杉より御届之内
今朝五ツ時頃、掃部頭殿御登 城之様子ニ付、辻番所番人共見請罷在候処、何者共不相知、六、七人白刃抜列御行烈(列)之中江切候内、人数立ふさかり様子者聢と見届不申候内黒羽織袴ニ而手疵請候者辻番所江罷越候ニ付、様子承り候処一言之答も無置抜身ニ而右場所駆込申候、暫仕候内六、七人抜身携内壱人馬乗袴股立取候者、白刃に首をかつき日比谷御門之方江罷越申候、持場之外之義ニ付不容易騒動ニ付此段御届申上候以上、
                   上杉弾正大弼
  三月三日                家来

三月三日辰之口遠藤但馬守様脇年頃三十才位ニ相見え頭上後江長サ四寸程深サ七分程切疵壱ケ所、頭ニ長四分程深サ五分歟切疵壱カ所、左之手首無之、白木綿た春き可け黒塗リ鉄砲繋キ小手いたし巾着内ニ上書安政七年三月朔日日記薩州有村次左衛門兼請ト認メ有之帳面一冊鑓印并手槍槍印者朱塗箔ニ而○如斯印両面ニ付有之、紙巻ニ而壱分銀六ツ弐分金一ツ弐朱金八ツ壱朱銀二ツ百文銭壱枚所持、皮具足胴黒塗何連も血付鞘無之刀身長サ弐尺六分程脇差九寸八分程、松平修理太夫家来脇田仁兵衛呼出相尋候処、有村次左衛門義去月廿六日他出致不罷帰帳外之者由相答え候趣、
  三月五日       

                    家来 有村雄助、
右之者昨朝より門出を以罷帰不申、右之者昨日遠藤様御組合辻番所廻リ場之内江相果居申候、元家来有村次左衛門と申者之兄ニ御座候間早速手当リ不申候、此節柄ニ付御届申上候以上、
                   松本修理太夫内
  三月五日               西筑右衛門

   近身恥怪異
  駕篭先之頻之荒   唐崎之夜雨
先支勇士勢 狼狽晩桐油
又固糸柄袋 天感忠降雪
  目能前の敵に心をう者王連し
   油断大敵右と左耳

  意趣山之敵之透   石山之秋月
武名輝末代 江城桜門外
取得首大敵 雪紛走何方
  去年よりの恨磐七重弥生月
   ゆきに咲たる武士の花

  ○○之勢乱     粟津之青嵐
見小敵故侮 大敵迫乗輿
失勿主君首 求代十軒店
  おもひきや王つかの敵に囲連て
   大老職の首のなきと磐

  下手関所      勢田夕照
白雪覆東西 日比谷関門
番士握陰嚢 更不見往来
  首きつた人の通懸を○○り
   志らぬいゝ王希番所腹切

  見江之番所     三井晩鐘
番士張臂而 寒風○石垣
箱番成新而 親父若弥久
  此頃磐鑓も数まし人をまし
   者ん越春る可やふじ能物入

  加役之啼晩     堅田落雁
出火追々減 加役昼夜繁
○○有穏世 驚踏黒犬尾
  火のもとも志川てき○夜○
   廻る徒可たを誰可志る遍き

  隙之浮説      比良暮雪
老容寄額皺 密語外桜田
高語米相場 唯待名君書
  その時のま古と磐誰も志ら雪能
   きゆる跡より積る悪説

  山師之危難     矢橋帰帆
○○北条栄 今華幼君代
讒賢者高枕 思外桜田難
  天可下大老職を笠に着亭
   志たよりぬるく身の者可無さよ

    役はらひ
岩村とをつと表へ出○出たが、とふ屋ら王る人道心細川行過てこゝに磐何も伊豆様と気強くなつて北の番はホット溜息、突棒さすまたとんた時分に遍ら棒が揃ひも揃ひし臆病者、欠出さんと春る所を此役払が引からめた○きゑ○○と思ひ共、皆腰ぬ希の事なれ者堀の内道江とひよろり、ひよろり、ひよろり

  春な連者外能桜田井伊兄可
    水戸もな以程散りうせニ介り 
  井伊事も油断志たの可あやまり可
    跡の志ま川磐水戸もなかろふ
  雪能朝桜田外にかもん出て
    水戸の○さしにさされ春春れ
  水居府浪江井伊と掃部可首きり

  赤門は赤合羽にハ恐れ介り
    首をとられて腹は立花

    五色見立の歌
  足白く鞘ハ黄色て顔青し
    門は赤くて内磐真黒
  井伊人と思ひの外の掃部さん
    首をとられて跡は胴なり

    役人一首の内   赤染衛門
  屋つ王らてねたましものと見込れて
    可たむく運の月を見しかな
  いいかもと雪の内にて首をしめ
  何事もいゝか悪か知ら祢とも
    たまし討と磐みともな以武士

   申三月三日御沙汰書写
     上巳為御祝儀御連歌
  時磐今雪磐降とも弥生哉
    散ハ火花の桜田の外
  人心屋希野て雉子の水戸なりて
    希んも不ろゝに引赤備
  孔明磐饅頭を角も思飛月
    驚に秋の風も出し怒け
  細川江廻し不の紅葉流行
    祖師て御難義龍の口にて
  早馬の足より早く噂春る
    名磐手廻りの手とらぬ者
  甲斐もなく立股引も白襦袢
    片身にか不る国の橘
  筒井つゝ桁も朽怒五月雨
    因果の総身切て者てなん
  面白し愛岩(宕)の山を見渡せ者
    大小立派忠天狗組
 右一順卆而入滅
一今月掃部頭登 城無首
右之通変中別条無之


   な以もの尽し

上巳大雪めつたにな以    桜田騒動とほうもな以
とうやら掃部の御首な以   是て磐ま事に仕方可な以
お駕篭有てもかきてかな以  上杉辻番い具ぢ可な以
主人なくて磐申訳可な以   脇坂取次してがな以
細川お預たまらな以     咄し磐春れ共見た物な以
桜が咲ても見て可な以    茶屋小屋芝居行てな以
唐人咄磐まるてな以     讃岐のさ王き磐志りてな以
玄朴此節呼てがな以     水戸の宝蔵多可ら可な以
一躰隠居磐人てな以     薩摩の助太刀と不ふもな以
老中増々みつともな以    夜分佐つ者りとふりかな以
町人金持気可気てな以    ど路不ふ見て磐縄をな以
大名登城き里出阿累可な以  用心春る内ハ事カな以
全躰役人はら可な以     是て磐世中納まらな以
夫ておまつまつ軍可な以   とうた可王たし請合な以
都合弐拾八な以

  井伊工夫雛の祭り可血祭り可
   関に身ゆるハ桜田のゆき
  四天五壱天五磐
   とふ者かり

   太功記十段目

残るつ不みの花飛とつ       立花の芳野
思案投首志ほるゝ斗り       同 家中
此身能願ひ叶ふたれハ       沙汰之通御捌願ふ
残らら須聞て居ました       最寄屋敷窓の内
思ひとまつて留主連と       隠居家老王る異見
時のひる程不覚の元        日比谷御門御○寄
哀連ハ爰に吹おくる       打合太刀音
行方志ら春成に介り        虎の御門方へ逃た士
たゝ一突と気者者り弓       佐野竹之助
ぐつと突込手錬の鑓先       有村次左衛門
たゝ不ふ然たる斗りなり      御駕籠脇
栄花正しき我家を         立つたゝぬつ
たとへかたなき人非人       悪隠居
おい左め申した其時に       御油断を悔
志らぬ事と磐云ながら       上巳の登城
無益の舌根動か須な        思ひ思ひの評判
数ヶ所の手疵に血         斉藤監物
いふも苦しきだんまつま      日下部三郎右衛門
狼狽さ王くを追立て追立て     狼藉もの
やア言甲斐なき味のや川者ら    駕中の気く者り
いつたのしみの消ものふ      小石川
末世記録に残しくれん       と度の大変

   弮○の段
掃部の首な以といへ共、是をとろぼふ法共 井伊の家立つといへ共首をとられて大変なり

   五大力
水戸どの胸にいつまでもなま中まみへもの思ひたとへせかれて程ふるとても隠居時節の末を待なんとせふ「たづ井伊の首打取てからたはとらぬ御大老、さ王さりながら掃部智慮なきおんふぜい屋可て見志よぞへ王うをぞへ、おしき首取候、かしく

桜田御門の真先て刀な斗てしてとけた阿んよ王ひ武士磐見た事な以三拾五万石たゝしてた、

   騒動ちよ保具連

屋連屋連皆さん此度の騒動聞てもくん祢以、三月三日に大雪降とは前代未聞の事だよ皆さん、大老職なる井伊さん登城の其行懸ケ、桜田御門の外なる上杉なる辻番ニ而水府の浪人遍ら不うに長江とふとふ抜たり鉄砲持たり手鑓をさし多り鎧を着たり手甲当多りなんだかんだか論にも及ぬ切られる奴らハ免川不ふな馬鹿だつ手疵を負やら古王以も間ぬけた、大家の倅に磐釼術なんとを心得居る屋川飛とりもな以、小姓なんぞも四五十人の侍居ながら切れるなんぞと論にも
評にものらな以奴らだ、槍磐桜田箱持上杉表門なんぞ以逃込なん楚言事、寝たりおきたり逃行なん楚と言事、唐にもな以楚へ、唐といつたら異人の事たよ、交易なんぞて諸色可高いを諸人の難儀もなんともおも王ぬ水府隠居磐切られて死ぬ可やつ者りましたよ、侍あ王くひ唐人米くひ町人わりくへ、水府の隠居の首ても抜て鳶に具王せて家来者な楚一集に殺して異人のゑじきにするの可増したよ、水府御家も潰して仕舞ふ可よ川不といいのた、老中の中にも龍野盤城磐
よ川保といいのさ者なせ御人○和泉のち以さん古王くてならなけり
や御役を願ふて引込て仕舞ふ可よ川不と増多よ、村上先生志川可り頼楚、御役に立な以人たち若年寄も遠藤のぢ以さん我侭者たよとうした事たよ、半知に志るの可隠居をさせる可二ツに一ツをと川ちにもなさ以よ、外能御方者無役壱人とふやらこふやら勤めて参るぞ、町助希磐 公儀の御慈悲た、諸色の直さけお可場所こしら以、水戸を潰して異人を殺して下に安堵をさせる可よかろふ、下の繁盛 御上の御佐たに御役に立人よ以よふに左者ゐて下され、や連 や連 や連 水府浪人井伊心持具びきり 吉原(よきはら)と悪き腹を取交て胸苦しさに者き出し介り

   吉原言葉

よくきな満した         会津公
飛川くり志ひした        遠藤辻番
とふしなんした         一ツ橋の狸気
な以て者つ可いおりいした     彦根の奥方
とん多めに阿以なんした     柳澤
宇楚らしふを春         彦根御届
阿ん満り飛とふ左んす      松平大隅守
酔なましたかへ         日比谷御門番
い屋た祢へ           諸家の御預リ
阿ぶのふ左ます         小石川
志つかりしなんし        臨時評定
と不けなますなよ        郷士の駆込
大きうありんす         今度の騒動
ちつと切可を言な満しよ     内藤紀伊
た以そふ婦さゐていゝなます祢へ 松平和泉
をせきなんし多祢へ       大隅守家来切腹
いづ行なんす          水戸上使
い川楚ころしておくんなしよ   水戸隠居
きつと左ます          同家のめつ不う
かつかり以多志んし多      親玉
よくうらにきなまし多      久世大和


(上記の例省略。読み下し文、文意、注釈の部で示す)

 いいかもと雪のうちにて首をし免
 何事も井伊可悪可知ら祢ともたまし討とハ水戸もない武士

   余家老尽し

桜田騒動見多ならよか路ふ    是楚天罪手本によかろふ
上巳の大雪敵に磐よか路ふ    先供さ王可せ手筈がよかろふ
壱発鉄砲相図によか路ふ    屋多らにお駕を津可づとよかろふ
必死の切先いき不ひよか路ふ   引出し土足にかけづとよかろふ
可愛や御首ハ置多可よか路ふ   四条河原にやら春とよかろふ
顔がいやならこつでもよか路ふ  兼々用心有天もよかろふ
供には武士を連多らよか路ふ   一同馬前に打死よかろふ
何楚や此奥にに希春とよか路ふ  奥方御自害是又よかろふ
お免か希火急に下ケ春とよか路ふ 公儀の御諭し定而よかろふ
腰ぬ希大勢よら須とよか路ふ   お米をや多らに買春とよかろふ
小田原相談よしたらよか路ふ  具津々志ながら出な以がよかろふ
是より釼術み可具可よか路ふ   釼難御相ハ出家がよかろふ
出家になつ多らと希だがよか路ふ 全躰御役等ならぬがよかろふ
なつたら我意を者らぬがよか路ふ 諸人の異見も聞多らよかろふ
家老の諌メを入多らよか路ふ   余り長いき志な以がよかろふ
丁度古ゝらで死た可よか路ふ   屋られた人々こきみがよかろふ
智勇の役人阿つたらよか路ふ   越の隠居を出し多らよかろふ
土田も又ゝ再勤よか路ふ     板倉老中尤もよかろふ
町の御奉行佐々木可よか路ふ   讃岐の用心希んこ可よかろふ
志う登内談志な以可よか路ふ   元より本家に内意かよかろふ
親玉御年を召多らよか路ふ    今から女に乗ら春とよかろふ
夫より馬術の御稽古よか路ふ   見付々無くともよかろふ
阿るなら○人置ぬがよか路ふ   異人の横行止多らよかろふ
大臣うとんてやら春とよか路ふ  機やの歎願聞多らよかろふ
冥加の御沙汰ハ止多可よか路ふ  市中の不景気見せたらよかろふ
相模の元方とふし多らよか路ふ  開帳途中て欠落よかろふ
御米ハどん々入多らよか路ふ   世間が静に成つたらよかろふ
天気に成つたら花見可よか路ふ  おごりハ浅草川柳よかろふ
二階可込なら下でもよか路ふ   雁の無時阿飛るでよかろふ
新酒少々割てもよか路ふ    江戸よりよ希れば田舎もよかろふ
上がよ希れば下までよか路ふ   亭主可よ希れば女房もよかろふ
王る以上リて是からよか路ふ   天下の万民余家老 々 々

  首ハ飛桜磐左王ぐ世の中に何とて町ハ
    静可なるらん

 隠居よ路こべ家来磐御役に立つた王ヤイ
 米可三斗公儀の噂ハ八斗掃部の喰の可壱杯 々

   水の隠居おいらん嘉門と問答

〔隠居〕
  如何においらん、汝に日本の魂あるや
〔おいらん〕
  馬鹿アいいなんし、そんな金玉があればこんな勤メハ志ハ世ん
  よ
〔隠居〕
  いかにおいら無、汝磐五カ国の人とや多ら夫婦約束して末磐と
  う春るの多へ
〔おいら無〕
  アイ、あんな古路つき者を客に春る気ハ阿里ません可、阿連磐
  伊勢左ん備中左ん可呼なんし多可ら夫手参リん春よ
〔隠居〕
  多ま連おいらん、多とへ伊勢備中可呼多とて、夫ハ一通リの阿
  しらへ、汝磐別段の御職になりて夫婦約束の取替を志多天ハな
  以可
〔おいらん〕
  ヲヤ 々、大造に腹立なんした、王ち起ハ勤の身多ものを、多
  とへ五カ国ハおろ可た免に成る御客那らバまたいくらも取りん
  春、そんな甚助い王須登西山の床に入りなんしとぐひ登引寄直
  ニ組打、首ツ切り不連多よ
   其時登左 々  雪登希多婦々  隠居にこにこ小石川はら
   はら  浪人せひせひ  老中びくびく 彦根ハ具づ具づ  
   咄し磐ひそひそ 御城磐志ん志ん

抑々武士に見世多き事、万国に春く連拾八人の勢ひちとりをなして、古今の意趣をなし春の時候の三月の時、天俄にかき曇リ大雪志起リに降リしか者、味方敵を志登めんと小筒を駕籠に楚打給ふ、其間に多ちまち大勢と那リ腕を切り腹を津き、この間、透間を伺てより首を大事に持て行、かよふに者希し起戦に春ごし首を渡世しと君にさゝ希て御意ぞんハ彼をまん満登打者多し、うらみ多へせし
近在諸国どふ々とつ登よ路こぶうちへ納まる水戸楚嬉し介礼
  万延元年
    五月三日写取

             万延元年 三月求之
                 写  佐藤氏

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