雫石口は盛岡より雫石街道沿いに西行して、秋田領生保内を経て秋田城下へ通じる通路。総司令(出張中惣指令役)は、表目付御者頭三浦忠左衛門。
一方、楢山佐渡は鹿角口の総司令。ちなみに、楢山佐渡が預かった鹿角口とは、盛岡より鹿角街道沿に鹿角を経て秋田領大館城をへ通じ進撃路。何故間違うたものか知る由もないが、この文章は地理を無視した話の展開となっている。

 
鹿角(秋田県鹿角市)からは、更に十二所口(花輪から尾去沢を山越えして米代川の左岸に出ての進撃路。本陣楢山佐渡が指揮した)、別所口(長牛より秋田領別所へ通じる進撃路。南部吉兵衛預)、葛原口(毛馬内から秋田領葛原を経て大館への進撃路。米代川を進撃した。総司令向井蔵人=家老=)、新沢口に分かれて進撃した。新沢口(小坂から秋田領新沢を得て大館への進撃路。主将・桜庭祐橘)に分岐して進撃した。

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