氏郷記末尾に『比氏卿記ノ作者ハ神戸左京亮正望トテ 凡下ノ者ナリ
 寛永四年ノ春ヨリ思立父神戸外記大夫正成ニ伊勢国以来ノ事ヲ尋、其外老士ノ語ヲ聞キ十九歳ニシテ始テ記・…・・其此(寛永六年)氏卿記漸漸三年ニシテ書立シノカトモ正望直ニ不見事ナレバ、人々ノ説区々ニシテ、其正統ヲ難定、亦ハ短才ヲ恥、亦ハ軽薄ノ書タルカト探ク箱底ニ納之、……寛永十年癸酉マテ、氏郷記吟味スル事四ケ年ナリ至‥』にして、老人の諌によつて世に出たとある。

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