天正一八年に浅野長政が稗貫の円隆寺に寄進した土地は百石、天正一九年に信直が北信愛に給した和賀・稗貫の土地が八千石、同じく江刺兵庫頭に給した稗貫・和賀の土地が千五百石と石高表示きれており、和・稗の地には検地が施行きれたとみられる。これに対して、同年信直が志和郡の広福寺と源照寺に寄進した寺領はすべて従来通りの苅数表示となっており、志和郡には検地が行なわれなかったと推定される。盛岡市史近世期上一ニー頁参照。
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