寛永以降、江戸期を通じて糠部の呼称が広く使われていたことは、菅江真澄遊覧記(外が浜風など)などにみられる如くである。糠部の初見は、「吾妻鏡」の文治五年条に「糟部郡」、「糠部駿馬」とあることに始まり、南北朝期には「糠部郡三戸」などと明白に郡名としての使用が知られる。

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