岩手県史第三者七七四頁など』この記述の傍証として浅野康長の広隆寺方丈宛の書状に、「領主談合云々」とあることをあげ、稗貫の新領主は未定であると推定している。しかし、この領主とは信直を指すものではなかろうか。

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