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南部叢書第二巻五六頁。同様の記述は「奥南旧指録」(同叢書同巻一七五頁)にも次のようにみえる。 「前田利家公より浅野長政・蒲生氏郷へ使者内城四郎兵衛来り・・・長政は今度信直公へ津軽の代地として和賀・稗貫・志和三郡を遣はさるゝ間無相違引渡し・・・依て長政より三郡を下知して信直公へ相渡さる」 なお、「聞老遺事」(同叢書同巻)にはこの記述がないが、この記述の出典と目される一北左衛門信愛之覚書」を掲載し、これには志和・遠野だけを信直へ渡すはずであったが功により和賀・稗貫も渡したとする。「渡す」の解釈によって見解が異なるが、通説のように加封とみれば、志和・和賀・稗貫の他、遠野を含めた閉伊も加封されたことになり、結局は四郡加増となろう。とすれば通説の三郡加増説とは矛盾する。 |