刑部丞守清長男 八戸政経 后行吉 八戸河内守 実、家族新田刑部丞清政男、守清甥也、 当家代々南部氏を称す、りん旨御教書皆南部有、八代政光八戸住居と定る、以後自然と世人八戸侯と称す、政経に至て。宣旨并他邦より来る書翰八戸河内守と有、宣旨山科左衛門佐教兼奉書亦然り、 傳曰、康正中田名部領主蛎崎蔵人謀叛して籠城し近邑を掠略す(下略) 「南部家文書」(吉野朝史跡調査会編)に八戸河内守宛書状は五通収められている。 73 本覚坊書状 92 前信濃守孝安書状 93 前信濃守孝安書状 94 教兼書状 95 圓福書状 |