南部信直の前半生について(疑問) 2  二十五代晴継との関係


二十五代晴継との関係
【各種系図・伝記類に見る信直の続柄】

  巷間に多くの南部系図が流布している。大方の系図は信直を根源としたものであるが、信直の事績は、諸説区々として曖昧模糊であるばかりではなく、矛盾する事柄が実に多彩である。

     凡例   『  』 は記録名
      1. 系図伝記の別
          系図の場合は系線上で晴継から見た信直の続柄             
       伝記の場合は伝記と表示
          歴代を文章で表現する場合は 文章系図
      2. 系譜上で晴継から見た信直の続柄
      3. 所蔵機関記番号
         県図**・*-**   岩手県立図書館所蔵
         県図新**・*-**  岩手県立図書館
                     新渡戸文庫
         盛中**・*-***   盛岡市中央公民館所蔵
                    南部家旧蔵文書
      4. 信直譜中 晴継との続柄に関する表現
      5. 備考 例・利正代迄は 記録の終末部年代

        従兄(従弟) 父母の兄弟姉妹の子
        従弟伯父(従弟叔父) 
               父母の従兄弟姉妹の子  
        従弟大伯父(従弟大叔父) 
               祖父母の従兄弟姉妹の子
        又従弟・従弟違
              従弟伯父(従弟叔父)に同じ



第一類 信直は晴継の従兄弟と記載するもの

 この系統の系図は、元禄頃まで散見して一時姿を消すが、『寛政重
 修諸家譜』編纂時に再び顕在化する系図群である。
 ちなみに、
 南部家の秘蔵とされる「歴代藩主画像」の内、南部信直画像には
「第二十六代大膳大夫信直者晴政舎弟高信之嫡男也、晴継依早世嗣
 其家、寿五十五歳而卒」とある。南部家はこの系統系図を正当とし
 ている。
      
 イ、系図

  寛永諸家系図伝所収
 『南部系図』
  1.  従弟 2.  従弟    
  4. 

   信直                                                
   大膳大夫 高信が嫡子たり彦三郎晴継早世ゆへ従弟たりといへ
   どもその家をつぐ 天文十八年豊臣秀吉相州の北条を征罰のた
   め関東に下向のとき信直参謁す 

       政康─安信┬晴政─晴継
            └高信─信直                                                          

  5.  重直代・寛永18年幕府に上提


 『仮名なんぶけいづ』
  1. 系線なし 2. 記載なし 3. 盛中29.1-007
  4.  記載なし「安信 晴政 晴継 信直」
  5.  重信代迄
 
 『南部記録』
  1. 系線なし 2. 従弟    3. 盛中22.1-006
  4. 「 はるつく世をはよふするのゆへに、いとこたりといへと
     もそのいゑをつぐ」
  5. 『仮名なんぶけいづ』の増補本ヵ

 『寛永南部家系図伝』
  1. 従弟   2. 従弟    3. 盛中29.1-037
  4.  「 彦三郎晴継早世ゆへ従弟たりといへどもその家をつぐ」
  5.  重直代まで記載 『寛永諸家系図伝』南部家譜の写本ヵ


 寛政重修諸家譜所収
 『南部系図』
  1. 従弟   2.  従弟     
  4. 
   寛政重修諸家譜の標記

   安信─晴政┬晴継───────────────────┐
        │ 彦三郎                 │
        │ ※ 晴継譜               │
        │   永禄八年正月二十四日卒す。芳梢花公 │
        │  (今呈譜芳梢華公)と号す 興光院に葬 │
        │   る。                │
        │                     │  
        └高信─信直                │
                              │
    ※ 高信譜                     │
      左衛門尉                    │
       津軽の城に住す、某年卒す、祖岩芳公と号す、今 │
       の呈譜に石川左衛門佐に作り、津軽石川城に居住 │
       すといひ、また高信をもつて安信の弟とし、高信 │
       が弟に長義以下の三人を出せり、新呈の譜しるす │
       処くはしきに似たるときはこれにしたかぶべしと │
       いへども、寛永系図高信が男、信直が伝に、晴継 │
       早世し、信直従弟たりといへどもその家を継とい │
       ふといふときは、高信は安信が二男にして晴政が │
       弟たる事証とすべし、よりて専寛永譜に従ひて記 │
       す                      │
                              │
   ┌──────────────────────────┘
   └信直    
     九郎 大膳大夫 
     晴継が遺領を継

  5.  寛政11年編纂

   【参考】 
   因に、寛政年間に上呈した南部系図の系線は次の通り。

      政康┬安信─晴政─晴継          
        └高信─信直


 藩翰譜所収
 『南部系図』 1.  従弟 2. 記載なし
  4. 「 晴継卒して其嗣なかりしかば信直を世嗣とす」
  5.  重信代 娘・松平伯耆守継清室(寛文9年婚礼)迄 

  系図綜覧所収
 『南部系図』 1. 従弟 2. 記載なし
  4. 「 以晴継早世無嗣、入継嫡統」
  5.  重信迄  元本「諸家系図纂」は元禄5年頃完成とみられる

 『南部家系図 』 1. 従弟 2. 記載なし 3.  県図28・8ー14
  4. 記載なし
  5. 利視代迄

 『御系譜並附録』 1. 従弟 2. 記載なし  3.  盛中29.1-009
  4. 記載なし
  5. 利用代、文政8年4月28日の書簡記載あり  

 『南部家系譜』 1.  従弟 2. 記載なし  3. 県図新28・8-24
  4. 
  5.  利用代迄、晴継の没年を天文6丁酉年と天正乙酉年(註・乙
    酉は天正13年)を併記

 『南部系譜』 1. 従弟  2. 従弟  3. 県図新28・8-6
  4. 「雖為従弟継其家領 」

 『南部御系譜』 1. 従弟 2. 従弟  3. 県図28・8ー7
  4. 「従弟彦三郎晴継依為早世信直為継嗣継其家領」
  5.  重信代迄

 『御家御系譜』 1.  従弟 2. 従弟  3.  県図28・8ー6 
  4.  「従弟彦三郎晴継依為早世信直為継嗣継其家領」
  5.  利済代 文化10年迄

 篤焉家訓15巻所収 
 『御系譜 』 1. 従弟 2.  従弟
  4.  「従弟彦三郎晴継依為早世信直為継嗣継其家領」
  5.  利済子弟 下限天保11年6月晦日まで

 内史略所収 
 『南部系図 』1. 従弟 2. 従弟 3.  県図28・8ー16
  4.  「 晴継無嗣子従弟以田子九郎信直為養子継家領」
  5. 『奥南旧記』収載系図 の転写

 『宝譜伝万茎』 1. 従弟 2.  従弟 3.  県図28・8ー49
  4. 「実石川左衛門尉高信嫡子、晴継依早世 為従弟継其家領」
  5.  利正代迄 

 『宝譜伝万茎下書』 1. 従弟 2.  従弟 3.   盛中29.1-008
  4. 「実石川左衛門尉高信嫡子、晴継依早世 為従弟継其家領」
  5.  利正代迄 文化6?9の作成

 『秘本御系譜』 1.  従弟 2. 従弟 3.   県図28・8ー4
  4.  「晴継依早世雖為従弟継其家領 」
  5.  重直代 重直子布岐まで

 『御系譜』 1. 従弟 2.  従弟 3.  県図28・8ー49
  4.  「晴継依早世雖為従弟継其家領」
  5.  遠藤長俸編 安政6年迄 『宝譜伝万茎』の増補本カ  

 『系譜』 1.  従弟 2. 従弟 盛中29.1-16
  4.  「晴継依早世雖為従弟継其家領」
  5.  文政3年8月・利敬葬送迄記載

 南旧秘事記抜書
 『御系譜』 1.  従弟 2. 従弟 盛中29.1-015
  4.  「 晴継依早世雖為従弟継其家領」
  5.  利剛代天保13年6月護次郎誕生迄記載


 ロ、伝記・その他類

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟 3. 県図28・8ー35
  4. 「 晴継乃御為には従弟と云、其上大姉聟にて云々」
  5. 享保12年8月吉祥日 小山田宇太郎信幸 花押

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟 3. 盛中22.1-001
  4. 「晴継公の御為には従弟と云、大姉聟にて云々
  5.  享保12年写本

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟 3. 県図28・8ー35
  4. 「 晴継乃御為には従弟と云、其上大姉聟にて云々」
  5. 享保12年8月吉祥日 小山田宇太郎信幸 花押

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟 3. 盛中22.1-001
  4. 「晴継公の御為には従弟と云、大姉聟にて云々
  5.  享保12年写本

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 記載なし 3. 県図21・4ー38
  4. 「高信嫡子なり〈中略〉二十六代相続し、晴継の葬礼を井と
     なみ云々」

  『御当家御記録』 1. 伝記  2. 従弟 3.  盛中20.3-001
  4. 「 晴継公御卒去 従弟の家名を以信直公被為継候様北尾張
     守取計之也」         
  5.  寛政8年 平沢孫左衛門親常・編

 『南部信直公事蹟』 1. 伝記  2. 従弟 3.  盛中
  4. 「 晴継公の御為には従弟と云、其上大姉聟にて云々」
  5.  『南部根元記』の異本 天保13年写本

 『南部信直公事蹟』 1. 伝記  2. 従弟  3. 県図新21・4-3
  4. 「 晴継公の御為には従弟と云、其上大姉聟にて云々 」
  5. 『南部根元記』の異本 天保13年田中左平治写

 『九戸記』 1. 伝記 2. 従弟
  4. 「晴継の大姉と云、従弟なれば是に過ぎたる事なしとて
     云々」
  5. 『南部根元記』の異本

 『南部信直絵像 』 2. 従弟  3. 南部利昭家所蔵
  4. 「 第二十六代大膳大夫信直者晴政舎弟高信之嫡男也、晴継
     依早世嗣其家 」
  5. 南部利昭家所蔵「歴代絵像」の内 利済代天保年間の成立か


第二類 信直は晴継の従弟伯父と記載するもの
  
     巷間に点在する伝記の多くは、信直の実父を第二十二世
     南部康政の二男石川左衛門尉高信とするもので、図式化
     すれば次の通りである。 

        康政┬安信─晴政─晴継
          └高信─信直
              (晴継から見て従弟伯父)

     この系統の系図は、元禄年間に『南部根元記』写本が四系
     統に分岐して流布した(太田孝太郎「南部根元記考」岩手
     史学研究No13)とされており、同説に従うならば、そ      
     の一系統から派生したものと勘考される。
      
 イ、系図類

 祐清私記「北左衛門進南部系図」条所収
 『南部系図』 1. 文章系図  2.  従弟伯父   
  4.  「政康の嫡子を右馬助安信と申南部の継家、次男を糠部左
     衛門尉高信と申、津軽郡代已後石川殿と申是屋形(信直)
     之御父なり、(中略)安信の御子彦三郎晴政、其御子彦三
     郎晴継迄南部廿五代と聞伝ぬ、云々」
  5.  信直は当事者であり、歴代の記載は 晴継迄
    北左衛門が使いして織田信長・豊臣秀吉に持参したと系図と
    いう

 『略御系図』 1. 従弟伯父 2.  記載無し
  4. 「実、政康公孫にして石川左衛門高信君長男也 」


 ロ、伝記類

 『貞享記 』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  盛中22.1-006
  4.  「 晴継公の御為には従弟伯父と云、大姉聟にて云々」   
  5. 明治14年南部利剛手写本 『南部根元記』の異本 

 『信直記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3. 盛中22.1-005
  4.  「晴継公の御為には従弟伯父と云、大姉聟にて云々 」
  5. 元禄10年藤根吉当写本 『南部根元記』の異本 

 『信直記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3. 県図新21・4-5
  4.  「 晴継公のためには従弟伯父と云、大姉聟なり」
  5. 『南部根元記』の異本 

 『南部根元記 』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  県図28・8ー34 
  4.  「晴継のために、いとこ伯父と、并大姉聟なり」
  5.  内題「吾妻物語」 享保12年写

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟伯父  
  4.  「左衛門尉高信の嫡子にてましければ晴継の為には従弟伯
     父也大姉聟也」                     
  5. 南部叢書本・元文2年写本 
     この系統の写本が多い〈太田孝太郎「南部根元記考」〉

 『祐清私記』 1. 伝記 2. 従弟伯父
  4.  「 石川左衛門尉高信様の御子にて従弟伯父、殊に一度御姉
     聟に成玉ふ御身に候えば 云々」
  5. 南部叢書本「信直公之伝傅」
    『祐清私記』は元文3年頃の成立

 『祐清私記』 1. 伝記 2. 従弟伯父
  4.  「政康公の二男石川左衛門尉高信公の嫡子也、晴政公の為
     には従弟、晴継公には従弟伯父。大姉聟也
  5. 南部叢書本 「晴継公逝去・附達戸信直家督之事」

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  県図21・4ー36
  4.  「晴継之御為には従弟伯父也、大姉聟也」
  5. 元文6年本

 『九戸記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3. 県図21・4ー39
  4.  「 高信の御嫡子にて、晴政公は従弟、晴継公の為には従弟
     伯父大姉聟なり」
  5. 南部根元記異本

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  県図新21・4-3
  4.  「晴継之御為には従弟伯父也、大姉聟也」

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3. 盛中22.1-001
  4.  「晴継之御為には従弟伯父也、大姉聟也」
      5. 内題 信直記

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  盛中22.1-002
  4.  「晴継之御為には従弟伯父也、大姉聟也」
  5. 文政10年夏初旬大光寺政経写 

 『南部根元記 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  盛中22.1-003
  4.  「晴継之御為には従弟伯父也、大姉聟也 」

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  盛中22.2-017
  4.  「晴継之御為には従弟伯父也、大姉聟也」

 『九戸記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  県図新21・4-33
  4.  「晴継之御為には従弟伯父也、大姉聟也」
  5. 南部根元記異本

 『九戸軍談記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  盛中22.2-018
  4.  「晴継の為に従弟伯父、其上姉聟なり」
  5. 南部根元記異本

 『南部書記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3.  県図21・4ー03
  4.  「晴継の為に従弟伯父、其上姉聟なり」 
  5. 南部根元記異本

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3. 県図新21・4-1
  4.  「晴政公には従弟且晴継公には大姉聟也」

 『御家秘事記』 1. 伝記 2. 従弟伯父 3. 県図21・4ー02
  4.  「晴政公には従弟且晴継公には大姉聟也」
  5. 南部根元記異本


第三類 系図の系線と譜が不一致の系図群 

     第一類群から第二類群に移項する過程を窺わせる系図群と
     考える。
    イ、譜は「晴継には従弟」(第一類群と同じ)であるが、系
     線は第二類群に見る通り従弟伯父とするもので最も多い。
     逆もある。
             
     (晴継から見て従弟)

     政康─安信┬晴政─晴継
          └高信─信直 
                     
     (晴継から見て従弟伯父)

     康政┬安信─晴政─晴継
       └高信─信直
                  
    ロ、系線は第二類群(従弟伯父)であるが、譜は従弟大伯父
      とするもので、図式化すれば次の通りである。       

     譜は
     信時┬信義
       ├康政─安信─晴政─晴継
       └高信─信直
           (晴継から見て従弟大伯父)
     系線は
     康政┬安信─晴政─晴継
       └高信─信直
           (晴継から見て従弟伯父)
      但し、従弟大伯父、或いは又従兄弟とする伝記類も包括
      して記載している。

 イ.系図類

 『南部家系図』 1.  従弟 2.  従弟伯父 3.  県図28・8ー13
  4.  「晴政為使従弟田子信直、高信長子也
    (晴政に従弟は、晴継に従弟伯父)」
  5.  利恭代 明治36年南部藩史編纂所〈謄写〉

 『南部氏略系』 1. 従弟伯父 2.  従弟 3.  県図新28・8-25
  4. 「雖為従弟継其家領」
  5.  利用代迄
    晴継の没を永禄乙酉年(永禄乙丑は8年、乙酉は天正13年と
    並記

 続群書類従所収
 『南部系図』 1.  従弟伯父 2. 従弟    
  4. 「高信之嫡男也、彦三郎晴継早世之故、雖為従弟継其家」
  5. 重信代迄 延宝8年頃完成とされる『藩翰譜』以降の成立

 『南部御系図大意』 1.  従弟伯父  2. 従弟
  3.  県図新28・8-26
  4. 「雖為従弟継其家領」
  5.  晴継の没年、永禄9寅年

 『南部系録』 1.  従弟伯父 2.  従弟 3. 県図新28・8-3
  4 「雖為従弟継其家領 」

 『南部系譜』 1.  従弟伯父 2. 従弟 3.  県図新28・8-5
  4 「雖為従弟継其家領 」

 『御系譜略記』 1.  従弟伯父  2. 従弟
  3. 県図新28・8-12
  4 「雖為従弟継其家領」

 『南部御系譜』 1. 従弟伯父 2.  従弟  3. 県図28・8ー11
  4 「従弟晴継公早世依之為養子受天正6年家督」
  5. 利剛代迄

 『御系譜』 1. 従弟伯父 2.  従弟   3.  県図新28・8-2
  4 「永禄六年晴継夭死、依為従弟継家」
  5  宝暦中写

 『歴世系』 1. 従弟伯父 2.  従弟  3.  県図28・8ー2
  4 「晴継早世故雖為従弟継家
  5  利用代迄

 『御系譜』 1. 従弟伯父 2.  従弟 3.  盛中29.1-10
  4 「晴継依早世雖為従弟継其家領」
  5  利剛代 安政6年迄記載

 『南部氏略御系図』 1. 従弟伯父従弟 2.  従弟
3.  県図28・8ー9
  4 「彦三郎晴継早世雖為従弟継其家 」
  5  利正代 利正子トシ迄

 『南部家系記録』 1.  従弟伯父  2. 従弟大伯父
  3. 盛中29.1-22
  4. 「信直は晴政の従弟伯父と云、旁以て家督儀は尤也
    (政信の甥安信従弟)」      
  5.  利済代迄
   
  続群所類従所収
 『東奥軍記』 1. 伝記 2. 従弟・従弟伯父  
  4.  「晴政の為には甥、晴継に従弟伯父なり、大姉聟なり」
  5.  『南陽武鑑』の異本 正徳元年写本という

 『御系図御続書』 1.  甥 2.  従弟   3. 県図新28・8-8」
  4. 「雖為従弟継其家領」
  5.  晴政・高信・晴継を兄弟に作る  
        安信┬晴政
          ├高信─信直
          └晴継

 ロ.伝記類

 『九戸記』 1. 伝記 2. 従弟大伯父 3. 県図21・4ー46
      4.  「晴政のためには従弟伯父なり」

 『九戸軍談記』 1. 伝記 2. 従弟大伯父 3.  県図21・4ー07
  4.  「 信直は晴政の御為には従弟伯父也
              (政信の甥、安信従弟) 」
  5. 南部根元記異本

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 従弟叔父 3. 県図21・4ー01
  4.  「晴継の為には従弟叔父と云う 」

 『祐清私記』 1. 伝記 2. 又従弟
  4.  「天正(ママ)年本家彦三郎晴継早世故、又従弟たりとい
     へども信直家を継げり云々」
  5.  南部叢書本「信直様之事」

 『九戸軍談記』 1. 伝記 2. 不明  3.  県図21・4ー07
  4.  「時政〈ときまさ〉の御為には従弟伯父なり、大姉聟な
     り」
  5.  時政は晴継を称していると見られるが、晴政か晴継か不明

 『南部根元記』 1. 伝記 2. 不明  3. 県図21・4ー37
  4.  「信直公は左衛門尉高信は従弟也伯父也息は姉聟也〈マ
     マ〉」
  5.  天明2年本

 『九戸本覚』 1. 伝記 2.  不明  3. 県図21・4ー48
  4.  「晴継の御為には従弟伯父、甥なれば云々」
  5.  南部根元記異本


第四類 第二類の亜流系図群

     系線は第二類群(従弟伯父)とするが、譜上において続柄
     の記述を明示しない系図群。第三類系図群に見られる「系
     線と譜」の間に矛盾を認識し、それを回避するため系線の
     みを生かした系図群と考える。第一類の『藩翰譜』所収系
     図を頭註として併記する系図(盛中29.1-2)も散見す 
     る。

 イ.系図類

 『御家系代世略』 1. 従弟伯父 2. 記載なし 
  3.  盛中29.1-025
  4.  「北左衛門信愛が云、晴政公嗣子を約す」、
  5.  利剛代 文久2年漆戸茂樹・筆

 『南部家系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  盛中29.1-001
  4.  「北左衛門信愛田子より迎え来る」
  5.  信侯代以降の作成 行信代元禄15年松丸死去迄記載 

 『南部家系』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  盛中29.1-002
  4.  「北左衛門信愛田子より迎え来る」
  5.  利正代 天明5年長子の死去迄

 『御系譜』 1. 従弟伯父 2. 記載なし   3. 盛中29.1-12
  4.  「北左衛門信愛田子より迎え来る 」
  5.  利剛代 嘉永3年11月 上山広淵・筆

 『御系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし   3. 盛中29.1-14
  4.  「北左衛門信愛田子より迎え来る 」
  5.  利剛代 嘉永3年2月11日藩主入国迄記載

 『代世略譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  3. 盛中29.1-28
  4.   説明文なし、
  5.  「藩翰譜」を引用して「高信は晴政弟」の系図を併記す
     利恭代迄 素心斎・筆

 『南部歴代附録』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 盛中29.1-24
  4.  「 田子九郎後継家」
  5.  信恩代 天明3年4月写本

 『南部歴代附録』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 盛中29.1-23
  4.  「田子九郎後継家」
  5.  利視代迄

 篤焉家訓15巻
 『南部系図』 1. 従弟伯父 2. 記載なし
  4.  「父高信公摂政有徳望、公一以為嗣 」
  5.  清和天皇より利直まで  南旧秘事記抜書

 『南部信直利直系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 盛中29.1-49
  4.  「信直元亀三年承晴継之後 」
  5.  旧話集、根元記、和賀軍記、南部軍記、藩翰譜等を引用
    とあり

 『南部系図補正・並書』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  盛中29.1-29
  4. 「 信直閉伊郡腰廻館隠為晴政義子娶長女」
  5. 利恭代 明治6年迄記載 
     註
     この説は、寛政十一年に藩士小本助右衛門が宮古代官長尾
     儀左衛門を介して「先祖が信直を庇護した功績」として書
     上げ、藩に言上した内容に基づいている。
      但し、篤焉家訓によれば、当時、藩は「不埒」として受
     理しなかった経過が あり、小本氏に於ても秘蔵書となっ
     たものと考える。しかし、明治以降再び人々の耳目に触れ
     る機会があり、それを契機に、一部の人たちの間で話題を
     醸し、本系図ほかに採録されものと推察される。その後、 
     珍書として、一部に「田子九郎記」「小本旧記」「小本根
     元記」などの書名で写本が伝えられ、南部叢書が刊行され   
     た時に『宮古由来記』で書名で出版され、その巻頭を飾っ
     て広く知られるようになった説である。ただし、詳細にみ
     るまでもなく、一見して信頼性に欠けた説話であることは
     明白である。

 『南部系図』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  3.  盛中29.1-3
  4.  信直閉伊郡腰廻館隠為晴政義子娶長女」
  5. 利恭代 明治6年迄記載

『系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  3. 盛中29.1-17
  4.  信直閉伊郡腰廻館隠為晴政義子娶長女」
  5. 利恭代 明治9年迄記載


『南部系図補』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  3.  盛中29.1-30
  4.  信直閉伊郡腰廻館隠為晴政義子娶長女」
  5. 明治10年作成

『南部系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  3.  盛中29.1-5
  4.  信直閉伊郡腰廻館隠為晴政義子娶長女」
  5. 利恭代 明治17年利淳誕生迄

『系譜書上写』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  3.  盛中29.1-40
  4. 信直閉伊郡腰廻館隠為晴政義子娶長女」
  5. 杉村濬・筆

『南部家伝旧正録』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  盛中22.1-11
  4.  「晴継公御卒去ありしゆへ石川高信の御子御家を継玉ひ信
     直公と申奉る」
  5. 重信の没まで記載

 『系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  3.  盛中29.1-19
  4.  晴継早世因無嗣子継本系」
  5. 文化7年11月公義年書上

 『略御系譜』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  3.  盛中29.1-47
  4.  晴継早世因無嗣子継本系」
  5. 文化7年11月公義年書上

 『系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  3.  盛中29.1-19
  4.  晴継早世因無嗣子継本系」
  5.  弘化3年公義書上

 『系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  盛中29.1-19 (同上と同じ綴り)
  4. 「晴継早世因無嗣子継本系」
  5. 慶應2年公義書上

 『御系譜』 1.  従弟伯父  2. 記載なし  3.  盛中29.1-11
  4. 晴継早世因無嗣子継本系」
  5. 利剛代迄

 『南部御家氏』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  盛中29.1-20
  4 「晴継依早世永禄6年 24歳 家督 」
  5. 利雄代 利謹弟・亀五郎寛延3年死去迄記載

 『南部御系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 県図新28・8-9
  4.
  5. 重信代迄

 『御系譜略』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 県図新28・8-1
  4.
  5. 宝暦(?)佐久間光豹自筆(嘉永7年死去)

 『南部御系録』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 県図新28・8-33
  4.
  5. 利敬代 寛政7年写

 『南部家系図』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 県図28・8ー8
  4.
  5. 利敬代迄

 『御系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 県図28・8ー19
  4.
  5. 利敬代迄

 『代世略系』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 県図28・8ー50
  4.  
  5. 利敬代迄

 聞老遺事所収
 『南部系図』 1.  従弟伯父 2. 記載なし
  4. 「実は石川左衛門佐高信君の長子也」
  5. 聞老遺事は文政5年の成立 南部叢書本

 『御系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  県図28・8ー3
  4.
  5. 利済代 利済子鉄五郎(文政9年生)迄

 『南部系譜』 1. 従弟伯父 2. 記載なし
  3.県図28・8ー18
  4.
  5. 利済代迄

 『盛岡藩主系譜草稿』 1.  従弟伯父  2. 記載なし  
  3.  県図28・8ー5
  4.       
  5. 利済代迄

 『御系図 』 1. 従弟伯父  2. 記載なし  
  3. 県図28・8ー10
  4.
  5.  利済代迄 佐久間光豹写(嘉永7年死去)

 『御系譜』 1.  従弟伯父 2. 記載なし  
  3. 県図28・8ー49
  4.
  5.  利剛代迄

 『御家系記』 1. 従弟伯父 2. 記載なし  
  3.  県図28・8ー85
  4.
  5. 利剛代 弘化3年迄

 『御系譜』 1. 従弟伯父  2. 記載なし
  3.  県図28・8ー1
  4.
  5. 利剛代 信候子久子嘉永4年没まで

 『御系図』 1. 従弟伯父  2. 記載なし
  3. 県図28・8ー12
  4.
  5. 利恭代迄


 ロ.伝記類

  無し

【その他】

 『津軽一統志』  南部世系に晴政・晴継の存在なし
  4. 「 高信は康政二男也、舎兄安信子なきにより、則高信の長
      子信直信濃守を以て家の督たらしむ」

 『土芥冦讎記』 南部世系に晴政・晴継の存在なし
  4. 「元祖は左衛門佐信時、右馬頭政康、右馬允安信、高信、
     信直、利直、重直、重信、行信迄九代也」   
  5.  元禄2年成立



     
略譜  附・信直誕生後家督まで年表
 川守田事件の記載諸説


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